入管被収容者のための祈り


神様あなたを賛美します。あなたからいただいた数多くの恵のために感謝いたします。
入管に収容され、大きな強いストレスの中で、失望のどん底に落ち、
病気のために苦しみ、家族や友人からひきさかれている皆様をお守りください。
どうぞ主よ、このようなきびしい環境の中にいる皆さんに、
がんばる力と勇気と慰めをお与えください。アーメン (Fr.Michael.Coleman)

2014年12月31日水曜日

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ハロルド司教(スリランカ)からのあいさつ
(Fran)


2014年12月30日火曜日

クリスマスおめでとうございます。
そして、
たのしい新年でありますように。

みなさまの貴重な寄付ありがとうございます。
次の方は、
住所がわからないので手紙を出すことが出来ません。
(敬称略)
アサリ チカラ
カトウ ヒデマサ
イケダ テルコ
ウチダ セイゴ
メールか手紙をいただければとてもうれしいです。

〒300-0038
土浦市大町9-6
カトリック土浦教会
<牛久の友の会>


foushiku@gmail.com


兄弟姉妹の皆さん、
これからもよろしくおねがいいたします。
(Fran)

2014年12月26日金曜日

わたしたちはフードバンク茨城に行きました。
わたしたちはお米や缶詰とインスタントラーメンなどをいただきました。
そして、わたしたちは赤ちゃん用おむつもいただくことが出来ました。
ありがとうございます!

かえるとちゅうで、
わたしたちはイラン人のMさんのところに行きました。
かれにお米やコーヒーなどを差し上げました。
かれは噛むことが出来ないのでお米を”おかゆ”にして飲み込みます。
かれはがんばっています。

赤ちゃん用おむつはスリランカ人家族(仮放免者)に差し上げます。
1週間まえに会った時、
あかちゃんは不機嫌そうでしたがだいぶ大きくなっていました。
しかし、両親の苦労は並大抵ではありません。
兄弟姉妹のみなさまかれらを見守ってください。
(Fran)

2014年12月22日月曜日

毎日新聞によると、
法務省はスリランカ人26人とヴェトナム人6人を民間チャーター機で一斉に強制送還しました。
かれらは18日に羽田空港を出発して既に送還を完了しています。
かれら32人は25歳から64歳で女性が一人含まれています。

かれらはとても紳士的でおだやかな人たちです。
かれらは政治的迫害のために日本に逃げてきました。
そして、かれらは難民申請をしましたが、日本国は認定しません。
そのため、かれらは不法滞在者となっています。

かれらは自国に送還されればとてもひどく扱われるでしょう。
かれらはころされるかもしれません。

兄弟姉妹のみなさん。
かれらのために祈ってください。
どうかかれらの人生が恵みに満ちたものとなりますように。
(Fran)


2014年12月19日金曜日

最近、牛久入管におおくのイラン人が収容されています。
そして、ここに彼らからたくさんの手紙が届きます。
その手紙にはかれらの悲痛な叫びが書かれています。

「わたしたちはクリスチャンです。
わたしたちの国と民族はイスラム教徒です。
わたしたちは自分の国にいると殺されます。
もうわたしたちは自分の国に帰れません。
わたしたちは日本に来て難民申請をしています。
しかし、成田から牛久に送られ拘束されています。
わたしたちはお金を持っていませんし家族や友人もいません。
頼れるのは神父様だけです。
どうかわたしたちに生活用品を差し入れしてください。」

・・・
・・・
・・・
(Fran)

2014年12月9日火曜日

マイケル神父はガーナ人とパキスタン人に会いました。
最近、かれらは入管牛久に収容されました。
かれらはまだ日本語を話せません。
やはり、かれらは自分の国から迫害を受け逃げてきました。
でも、日本(法務省)はそれを認めていません。
なんと辛いことでしょう!

わたしは30人分ほどの差し入れのために面会しませんでした。
洋服などがたくさんありましたので受付のまわりは荷物でいっぱいでした。
受付の方もあとどの位あるのか心配そうでした。
時間もだいぶかかりました。
受付の方ごくろうさまでした。

いま、スリランカ人が大勢収容されています。
かれらはあたたかい国から逃げてきました。
かれらから手紙がたくさん届きます。
かれらにはこれからとても寒い冬にそなえて洋服が必要です。
しかし、わたしたちの手元には洋服はもう少ししかありません。

みなさまのところに着なくなったもの等があればメールしてください。
<foushiku@gmail.com>
よろしくお願いいたします。
(Fran)


2014年12月3日水曜日

イラン人のMさん

かれは牛久のアパートにひとりで住んでいます。
そして、かれは牛久市からの生活保護をうけています。

かれはいろいろな病気にかかっています。
そのなかでもとても辛いのは、
かれは右耳下腺癌による口内の腫れで噛むことができません。
かれはすべてのものをミキサーでくだいた流動食をのみます。

かれは日本にきて劣悪な作業環境のなかで長い間仕事をしました。
かれはそこでの辛い仕事と不運な事故のために体を壊しました。
それ以後かれは疾病でくるしんでいます。

数年前に日本人の奥様が癌で亡くなりました。
かれを訪ねてくる友人(同国人)もいません。
かれは自分の死期が近いことを自覚しています。

マイケル神父はCTICからの連絡ですぐ彼を訪問しました。
フードバンク茨城からも近いので、
わたしたちはかれに食品をあげようと思います。

兄弟姉妹のみなさま、かれのために祈ってください。
(Fran)

2014年11月28日金曜日

いつも、洋服とテレホンカード(KDDI)を贈ってくれている方に感謝します。
マイケル神父はわたしたちにうれしそうに話してくれました。
ありがとうございます。

ところで、25日(火)に、
マイケル神父は2人のスリランカ人と面会しました。
かれらは日本経由で他の国に行くつもりでしたが、成田で拘束されました。
かれらのひとりは自国語(シンハラ語)しか話せません。
また、もうひとりはなまりの強い英語と自国語を話せましたので、
かれは通訳をしながらマイケル神父と話し合いました。

かれらは何も持っていないので、
必要な生活用品の要望を聞いてきました。
かれらは日本語をまったく知りませんので、
わたしたちはやさしい初歩の日本語(ひらがな)の読み書きの本をさがしています。
おすすめがありましたらおしえてください。
(Fran)


2014年11月19日水曜日

昨日
わたしはヴェトナム人のT氏とバングラデッシュ人のS氏に面会しました。
わたしたちはおなじアジアの民族ですが、それぞれの個性と特徴があります。
ヴェトナム人のT氏はしずかに話を聞きます。
バングラデシュ人のS氏はよくしゃべります。
日本人のわたしはその中間ぐらいです。
でも、みなうれしそうな顔をしていました。

わたしたちは楽しく宗教の話をしました。
S氏は「どの宗教でも神様は同じだ」と言いました。
イスラム教もユダヤ教もキリスト教も’父なる神様’は同じです。
S氏は「世界の95%は神様を信じている」と言いました。

そこでわたしたちは、神様を信じていない日本人について話しました。
日本人はよく見ていますが何もしません。
日本人はすぐに行動しません。
わたしは、日本人は冷たく難しい民族だと思います。
かなしいことです。

警務官のブザーがピピッとなり、面会が終了しました。
神様のお恵みがありますように。
(Fran)

ありがとうございます。

さいたま教区のF神父から、
ちょうど良いサイズの洗濯洗剤をいただきました。

三位一体の聖体宣教会のシスターから、
良い香りのする固形石鹸とテレホンカードをいただきました。

これらのものは被収容者からの要望が多いものです。

わたしたちは感謝をこめて報告させていただきます。
(Fran)

2014年11月18日火曜日

フランチェスコ教皇の11月17日の説教: 教会の局所季候のなかに閉じこもってはならない.

http://www.news.va/en/news/pope-francis-christians-remember-where-they-came-f


昨日17日月曜日の朝,Vatican Casa Santa Marta の礼拝堂で行われたミサにおいて,Francesco 教皇は言った:選民という局所季候のなかに閉じこもってはならない.

教会のなかで,信徒たちは誘惑に陥ることがある.イェスと共にいながらも,しかし,貧しい人々や,社会のはずれへ追いやられている人々を訪れることなく,教会という局所季候のなかへ自分たちを隔離しておこうという誘惑に.しかし,そのような閉鎖環境は,本当のカトリック教会のものではない.

イェスへ目を向けながらも,助けを求める貧しい人々や,社会のはずれへ追いやられている人々のなかにイェスを見ることを怠る.今日のカトリック教会は,そのような誘惑につきまとわれている.社会的に排除された人々へ扉を開けるのではなく,教会という局所季候の内部に閉じこもっていよう,という誘惑に.

Francesco 教皇の説教は,福音書のなかでも最も印象深いページのひとつに基づいている.そこでは,ジェリコの盲人のエピソードが物語られている.教皇によると,その男は,ルカ福音書の物語に出てくる人物たちのうちの第一のカテゴリーを代表している.社会のなかで何の重要性も持たないが,救いと癒しを欲しており,したがって,目的を達成するまで周囲の無関心の壁よりも強く叫び,ついにイェスの心の扉をノックすることに成功する.そのような者に対して,弟子たちのサークルは,彼がイェスのじゃまにならないように,彼をだまらせようとする.そして,そうすることによって,弟子たちは主を辺縁部から遠ざけてしまう.

弟子たちのサークルが扉を閉めてしまう 彼らはまったく善意でそうしているのだが がゆえに,辺縁部にいる人々は主へ近づくとこができない.そのようなことが,わたしたちカトリック信徒のなかで頻繁に起きている.わたしたちは主を見つけると,知らず知らずのうちに,教会という局所季候を作り上げてしまう.そうするのは,司祭や司教だけでなく,信徒たちもである:「わたしたちは,主のおそばにいる!」そして,主をみつめるあまり,主が何を必要とされているかが見えなくなってしまう.主は,飢え渇いており,牢獄に閉じ込められ,病院に入っている.主は,社会のはずれへ追いやられた人々のなかにいる.教会という局所季候は,不健全である.

次いで教皇は,苦い思いをまぶした皮肉をこめて,選民思想のグループの記述へ移る:「今やわたしたちは選ばれた民だ.わたしたちは主と共にいる.」そのようなグループは,かくして,自分たちの小さな世界を守ろうとする.そして,主のじゃまになる者たち 子供たちさえも をすべて,遠ざけてしまう.

教会のなかで,信徒が,司祭が,司教が,主の近くにいるという特権によって,そのような選民グループを形成するとき,彼らは,最初の愛を忘れてしまう危険をおかしている.あのとても美しい愛,主がわたしたちを呼んで,救ってくださり,「わたしはあなたをこのように愛しているのだ」と言ってくださったときにわたしたち皆が知った愛.そのような最初の愛を忘れてしまうこと.それが,弟子たちの陥る誘惑である.かつてわたしたちは社会のはずれにいたのに,そのことがはずかしくて,辺縁部を忘れてしまうなら,それは,最初の愛を忘れてしまうことである.

先ほどの第一のカテゴリーに対して,第三のカテゴリーと教皇が規定するグループもある.素朴な人々.盲人の癒しのゆえに神を賛美する人々.彼らは,特権を求めない.彼らは,恵みだけを求める.特権を求めることなく,主に従い,主と共に時間を過ごす.そして,とりわけ,子供たち,病人,牢に入れられた人々などから成る「社会のはずれへ追いやられた教会」を忘れずにいる.

「わたしたち,主に呼ばれた者が皆,社会のはずれへ追いやられた教会から決して遠ざからないよう,主に恵みを求めましょう.わたしたちが決して,特権的な弟子たちの教会という局所季候のなかへ閉じこもってしまいませんように.そのような閉鎖環境は,神の教会から遠ざかっています.神の教会は,苦しんでおり,助けを求めており,信仰と神の御ことばを必要としています.」

(Vatican News フランス語記事の Luc による翻訳)


2014年11月11日火曜日

マイケル神父はアフリカの人と面会しました。
ひとりはギャンビア人でとても背が高い人で、よく眠るそうです。
かれはとても大きなジャケットかセーターを要求しました。
もうひとりはナイジェリア人で7・8年ほど前にも牛久に収容されていました。
かれとマイケル神父はひさしぶりの再開でした。

わたしは2名のヴェトナム人と面会しました。
かれらはとてもおとなしい感じでしずかに話しをします。
かれらに友人の保証人になってほしいと頼まれましたが、
わたしたちは出来ないことを説明しました。
かれらはにっこり微笑んでくれました。

かれらは「何もすることが出来ないのはとても辛い」と言いました。
かれらは不平不満を言わずにしずかに絶えています。
かれらはとても素晴らしい人たちです。

わたしたちは「健康に気をつけてがんばろう」と言って別れました。
(Fran)


2014年11月5日水曜日

最近、
入管牛久収容施設にはスリランカ人がおおぜい入ってきています。
わたしたちはかれらのためにマジックテープ式の運動靴を差し入れました。

かれらは成田で拘束され、直接牛久収容所に連れてこられます。
かれらはシンハラ語となまりの強い英語しか話せません。
そして、かれらは何も持っていません。

みなさまかれらのために祈ってください。

さて、
マイケル神父はペルー人と面会しました。
かれは30キログラムも痩せたそうです。
わたしは日本人と台湾人のダブルのアメリカ国籍のW君と面会しました。
かれは若くて頭脳明晰です。
かれは数ヶ月で日本語を流暢に話しそして漢字交じりの文章を書きます。
わたしはかれの才能が埋もれないことを願います。

かえりがけに、
わたしたちはフードバンク茨城にたちよりました。
そこでいろいろな食料品をいただきました。
感謝いたします。
(Fran)

2014年10月29日水曜日

昨日、
マイケル神父と日本聖公会の藤井司祭は入管牛久収容施設に行きました。
マイケル神父は藤井司祭から「北関東教区時報」をいただきました。
下記に画像ファイルで掲載します。

(字が小さいときは、"CTRL"+"+"でブラウザの画面を大きくしてみてください)
(または、画像をクリックして別画面で拡大表示してみてください)


(Fran)

2014年10月20日月曜日

今日、わたしたちはフードバンク茨城に行きました。
そこから、いろいろなものをいただきました。


お米
赤ちゃん用おむつ
赤ちゃん用粉ミルク
食料品(調味料、砂糖、ラーメン、カップうどん、缶詰、その他)
わたしたちはこれらの品物をSさん家族に差し上げます。

日用雑貨(石鹸、タオル、その他)
わたしたちはこれらの品物を牛久収容施設の被収容者に差し上げます。

たすかります。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
(Fran)

2014年10月17日金曜日

昨日、わたしは最近ふえてきているスリランカ人のために
17人分ほどの差し入れをしました。

かれらは成田から直接牛久に収容されます。
そのためかれらは何も持っていません。
かれらから来た手紙によると、一番必要としているものは
洗濯洗剤、セッケン、シャンプー、ハブラシ、歯磨き粉などです。
それと、下着(ショーツ、Tシャツ)と運動靴です。

わたしは「1」番の受付で面会しました。
きょうは一人のフィリッピン人C氏と会いました。

彼の話によると、
「わたしたちはストレスで便秘になります。」
「出される食事はいつも同じようで野菜が少ししかありません。」
「わたしたちは常勤医から薬をもらいますがますますお腹が痛くなります。」
かれは顔をしかめてお腹をさすっていました。

かれらが多くの苦しみから開放されますように!
アーメン
(Fran)

2014年10月14日火曜日

仮放免者の家族にあかちゃんが生まれました。
マイケル神父はかれらを支援しています。


みなさまのお祈りとご支援をお願いいたします。
(Fran)

2014年10月7日火曜日

昨日、台風が迫っているなか、
わたしたちは差し上げのために牛久収容施設に行きました。
わたしたちはこの2週間ほどそこに行かれませんでしたので、
差し上げ品がたくさんありました。

差し上げリストには、
トルコ国籍のクルド人が10人ほど、
そして、最近成田から来たスリランカ人が6人ほど含まれています。

受付ロビーには何人かいましたが、
わたしたちはあまり時間がかかりませんでした。

25人ほどの差し入れ品のなかには、
かさばる洗濯洗剤や運動靴がたくさんありましたので、
受付の女性もたいへんそうでした。

わたしたちが帰るころには強い風と雨が降っていましたが、
わたしたちの心はポカポカでした。
(Fran)


2014年10月2日木曜日

これはヴェトナム人の被収容者からの手紙です。
かれらは自分たちの健全な生活のために必要最小限の物をたのみます。
そのなかでも、かれらのストレス発散のためにコーヒーはかかせません。

かれらは外部から隔離されています。
小さな部屋の窓にはシールが貼り付けられていて、
かれらから外が見えません。

4~5人の被収容者が同室に閉じ込められています。
かれらは一日中何もすることができません。
多くのかれらはストレスによって病気になります。

”ほっとする”ひとときはとても大切です。

(Fran)

2014年9月27日土曜日

おはようございます。
ここ2週間ほど、
わたしたちは入管牛久収容施設に行かれないことを残念に思っています。

さて、ご婦人たちに人気のあるビッファー神父さまからプレゼントをいただきました。
それらは、たくさんのロザリオ、生活用品、特大サイズのシャツやズボンです。
ロザリオは、カトリック被収容者に人気があります。
特大サイズの洋服はなかなか手に入らず貴重なものです。
ありがとうございます。

わたしたちのために祈ってください。
(Fran)

2014年9月21日日曜日

ありがとうございます。

さいたま教区の大田原・烏山・那須教会を司牧しておられるF神父から
昨日、洗濯洗剤(20個入り5箱)をいただきました。

この洗濯洗剤は被収容者にはとても必要です。
施設内では洗濯機と水は無料です。
しかし、かれらはお金をもっていないので洗剤を買えません。
ときどきかれらは水だけで洗濯します。
それらは脂肪のよごれが落ちないのですっきりしないですね。

さっそく使わせていただきます。
(Fran)

2014年9月16日火曜日

マイケル神父とわたしたち(いつものメンバー)は面会と差し入れをしました。
わたしたちの受付番号は「4」番から「7」番でした。

私たちの前にはA氏とE婦人が先に来ていました。
かれらはとても熱心なクリスチャンです。
また、かれらは関連支援団体に属しています。
かれらは仮放免申請のために保証人となり、保証金を用意します。
わたしたちはいつも感心しています。

マイケル神父は2人のフィリッピン人と面会しました。
かれらは離婚していて小さな子どもたちと離れ離れです。
かれらは子どもの将来を見守るために日本に留まっています。
子どもたちが自分の犯した過ちをしないように願っています。

ところで、話しは変わります。
牛久収容施設の中ではマイケル神父の名前は有名です。
しかし顔を知らない被収容者も大勢いますので、
ためしに顔写真付のカードを作りました。
そしたら女性被収容者たちから大きな反響がありました。

さっそくカードを作ります。
(Fran)

2014年9月15日月曜日

三位一体の聖体宣教女会のシスター様
水戸教会のサントニーニョ様
那珂教会の皆様
ご支援ありがとうございます。

テレホンカード、洗剤、タオル、
そして、男性服と女性服や日用品などをいただきました。
これらは被収容者たちにとって必要不可欠なものです。
かれらはすりきれてぼろぼろな服でも替えがなければそのまま着ています。

明日、わたしたちは牛久収容施設に面会と差し入れに行きますので、
そのときに使わせていただきます。

今後ともよろしくお願いいたします。
(Fran)

2014年9月9日火曜日

マイケル神父とわたしは
いつもの通りに朝早く7時ごろ土浦教会を出発しました。
わたしたちは牛久収容施設の受付ロビーで二人のご婦人たちと合流します。

到着早々に、わたしたちは面会申請書の確認をしたり、
差し入れ申請書の差し入れリストを確認します。
そして、わたしたちはそこで「入管被収容者のための祈り」をささげます。

マイケル神父はフィリッピン人とスリランカ人の2名と面会しました。
彼らはストレス解消のためにはげしい運動(サッカー)をします。
そのために、彼らにはどうしても運動靴が必要です。
地面はコンクリートなのではだしでの運動は危険です。
短い運動時間(1日に1回45分、移動や着替えも含めて)のなかで、
彼らは一生懸命に自分の健康のためにがんばっています。

マイケル神父は格安の運動靴を調達しています。
今度、彼らに運動靴を差し入れする予定です。

わたしはネパール人とパキスタン人の2名と面会しました。
ネパール人のB氏は背骨の病気をかかえています。
彼はいつも痛みとともにいます。

ここでかれは満足に治療してもらえません。
入管牛久収容所では以前から大きな医療問題があります。
わたしはまったく改善していないと思います。

どうかかれらが総合病院で治療できますように。
(Fran)

2014年9月8日月曜日

みなさま、ありがとうございます。

わたしたちは3月2日(日)にブログを開設してから”39”の投稿をいたしました。
いままでに”3000”を超える閲覧がありました。
わたしたちはみなさまのお心に感謝いたします。

また、わたしたちは仮放免者の生活支援もしております。
それは現在とても困難な状況の中にあります。
みなさまのあたたかいご支援をお願い申し上げます。

よろしくお願いいたします。
(Fran)

2014年8月31日日曜日

今日、マイケル神父様はアイルランドから成田に到着しました。
神父様はとても元気ですので、皆様ご安心ください。

神父様は今週は公務などでとても忙しいようです。
そして、かれは5日の初金曜日のミサで皆様に会えることを楽しみにしています。
(Fran)

2014年8月22日金曜日

21日(木)、
わたしは2人のフィリッピン人と面会しました。
かれらはとても紳士的な人たちでした。

かれらは日本に奥さんと幼い子どもがいるので、
かれらは家族を置いて国に帰ることはできないようです。
かれらは静かにここでの生活に耐えています。

かれらの一人が話しました。
「わたしは神様がとてもやさしく慈しみ深いことを知っています。
神様がいなかったら、わたしは今ここで生きていないと思う。
聖書の言葉にわたしたちは救われています。」

かれは目が悪い(老眼?)ので、
かれはできれば活字の大きな英語の聖書がほしいと言いました。
わたしはそれを何とか捜して差し入れしたいと思います。

わたしは面会を終了してロビーに出ました。
ロビーにはR神父達がいました。
また、そこにはとてもたくさんの差し入れの袋がありました。

わたしたちはいろいろな話をしました。
わたしたちは収容施設内の食堂で600円のランチ(ビュッフェスタイル)を共にしました。
食堂にしても、売店にしても、わたしはここでは値段が高いように思いました。
(Fran)

2014年8月13日水曜日

昨日、
はじめ、わたしは笑顔の素晴らしいタンザニア人のS氏と面会しました。
彼には家族も友人もいないので、だれも面会に来ません。
彼はボロボロのTシャツを着ていました。
そして、いろいろな生活用品もないので、
わたしはなるべく早く差し入れをするつもりです。

彼はいつも聖書を持ち歩いています。
彼はとても小さな字の聖書を得意そうにひろげて、
ニコニコしながらわたしに聖句の説明をしてくれました。
わたしもニコニコしながら聞きました。

それは、とても楽しい時間でした。
ありがとう。

つぎに、わたしはペルー人のD氏と面会しました。
以前の彼は肩がぶつかっただけでも喧嘩をしました。
しかし、彼はここに収容され、はじめて聖書をまじめに読んでいくうちに、
今までの彼自身の生活を後悔して悔い改めました。

今、彼は新しい明るい気持ちで生きています。
彼は神様のすばらしさを皆に伝えたいのです。

彼はある疾病のためにひどく苦しんでいます。
彼はいつも痛み止めを服用しています。
それが体に悪いことも知っていますが、どうしようもありません。
彼は、早く仮放免されれば、病院で手術を受けたいと言っていました。

彼の病気が早く治りますように。
(Fran)

2014年8月5日火曜日

今日も予定外でしたが、
わたしは20人の被収容者に差し入れをしました。

最近は、トルコ国籍のクルド人たちが増えてきています。
かれらは仲間同士のつながりがとても強いです。
かれらは差し入れの手紙の中に同じクルド人たちのリストをたくさん書き込んでいます。

わたしはモロッコ人のL氏と会いました。
もうひとりは都合により来ませんでした。

かれは自分の身の上話を話しました。
かれは日本人の奥さんと結婚して子どももいますが、
いまは離婚して離れ離れです。
子どもと会えないのがとても辛いようです。

そのあと、かれは話を続けました。

人間は体も心もとても弱いものです。
だから、わたしたちは神様にすべてを任せるしかない。
わたしたちはここの収容施設でとても辛く苦しい生活をしている。
わたしたちは”がんばって!”といわれても何のために頑張るのでしょうか。
この中では目的も何もない!

だんだん話をしていくうちに、
彼の顔つきが明るくなりました。
今朝、かれの体温は38度ほどでしたので、
最初はつらそうでした。

さいごに、かれはこう言いました。

今日、神様とわたしとあなたとの間で交わされた”よいことば”は
わたしたちを元気付けてくれる。
(Fran)

2014年7月31日木曜日

昨日、わたしたちはいつものように牛久入管の受付ロビーで
窓口が開くのを待っていました。

すると、「NGO 牛久入管収容所問題を考える会(牛久の会)」のひとたちが
かれらはおおぜいやってきました。
そのなかには、韓国人のK氏とペルー人のG婦人がいました。
かれらは仮放免者です。
皆さんは黙々と面会の手続きをしていました。

わたしの受付番号は”2”でした。
わたしは呼ばれたのでロッカールームに入りました。
わたしはデジタルカメラやレコーダーなどが入っているカバンと
携帯電話をロッカーの中に入れて鍵をかけました。
これらは持ち込み禁止となっています。

それから、わたしは”面会室5”に入りました。
そこは横が1.5Mで縦が3Mほどの小部屋で
中央部分は厚いガラスで仕切られています。
ガラスの下はカウンターテーブルになっています。
また、お互いの声が聞えるように、
仕切りの左下はパンチ穴の開いた鉄板があります。
そして、仕切りの両側にはパイプ椅子が2個づつ置いてあります。

それから、わたしたちはしばらく待たされます。

わたしは若いウガンダ人と中国人に面会しました。
わたしたちは初対面でしたのですこし照れていました。
でも、かれらは私の顔を見て微笑みました。
私もつられて微笑みました。

それから、わたしたちはいろいろな話をしました。
あっというまに面会終了になりました。

ちなみに、面会時間は20分から30分です。
入管の職員の方が面会室の外で監視しています。
(Fran)


2014年7月23日水曜日

予定外でしたが、今日わたしは面会と差し入れのために行きました。
差し入れリストの差し上げ予定者がとても増えてきましたので、
それをすこしでも減らすために、わたしは10人ほど差し入れをしました。
そして、ある中国人が「面会したい」と手紙に書きましたので、
わたしは彼と面会しました。

かれは20年ほど日本に住んでいました。
かれはオーバースティでつかまり、品川から牛久の収容施設に収容されてまだ数ヶ月です。
かれは国に家族も友達も仕事もないので帰れないのです。
かれはなにかの法律問題で弁護士と相談しているところです。
しかし、わたしたちはそのような問題については対応できません。
わたしは彼にそのことを伝えました。
かれはほほえんでいました。

はなしはかわって、かれはこんな話をしました。
同じアジアの民族の人たちがどうしていがみ合うのだろうか?
わたしたち人間は皆、平和と繁栄を望んでいます。
そして、人間は皆よい心をもっていて、困っている人を助けます。
わたしたち一人ひとりのお互いの関係は、
国と国との政治的・歴史的関係で置き換えられません。
それはべつものです。

わたしたち一人ひとりは誰も傷つけようとしません。
皆良い心を持っています。

わたしは深く同意しました。
全くそのとおりです!

最後に、「被収容者のための祈り」をゆっくり唱えました。
彼はそれを神妙に聞いていました。
たがいに”がんばろう”といって面会を終了しました。
(Fran)

2014年7月18日金曜日

牛久入管収容所でまたも死亡事例

昨日,2014年7月17日の面会で二人の兄弟から聞いたところによると,牛久入管収容所に1年弱の期間収容されていた兄弟が,7月11日に病死しました.またしても施設側の被収容者に対する保護義務違反の事例です.

亡くなったのはまだ20歳台の若い男性です.彼は,昨年11月ころから胸部痛と頭痛を訴えて,診療を求めていました.収容所の医師は異常無しと診断しました.

しかし,症状は悪化し続け,今年5月にやっと外部の医療機関への受診が実現しました.診断は,肺癌とその脳転移でした.

法務省は,すぐさま彼に正式な滞在許可を与え,彼は牛久入管収容所の被収容者ではない,という体裁を整えました.6月には,医療機関も,収容所近くの病院から都内の病院へ変更されました.

彼は7月11日に死去しました.法務省に言わせれば,「合法的に日本に滞在している或る外国人が不幸にして都内の病院で病死した」だけのことで,牛久入管収容所とは何の関係もない出来事だ,というわけです.何という欺瞞でしょう!

悪性腫瘍ですから完治は難しかったかもしれませんが,早期の診断治療が為されていれば延命できたでしょう.彼の家族は日本に住んでいます.死ぬまでの時間を家族と共に過ごす機会を,法務省は彼から奪ったのです.

このケースは,牛久入管収容所の被収容者に対する保護義務違反の新たな事例として記録されるべきです.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たちが適切な医療を受けられますように.より人間的な暮らしをすることができますように.

牛久入管収容所よりも刑務所の方がまし

昨日面会した兄弟はふたりとも,刑務所での服役を終えた後,そのまま入管の収容所に収容されました.ふたりとも日本で約20年間生活してきており,家族も日本にいます.

彼らはふたりとも,刑務所の方が入管収容所よりましだと口をそろえて言います.なぜかというと,刑務所では受刑者の更生と社会復帰を刑の目的とするので,刑務官たちは,態度は厳しいが,教育的な配慮をしており,また,受刑者を無事に出所させるために,病気のときは迅速に対応してくれるそうです.

それに対して,入管収容所は何らかの決定が下されるまでの間ただ単に収容しておくだけなので,警備官は,被収容者に対する言動は刑務官のように厳しくないものの,収容者たちのために何か配慮するという姿勢がほとんどありません.病気で具合が悪いと訴え出ても,すぐには対応してくれません.

今はもう暑い季節になり,収容棟の室温も約 30 度になりますが,窓はふさがれていて風を入れることはできません.夜寝苦しいからエアコンの運転を延長してくれと願い出ても,警備官は,規則によってそれはできないと答えるだけです.

同じ法務省の拘禁施設でありながら,刑務所の受刑者たちの方が,牛久入管収容所の被収容者たちよりも,ずっと人間的な処遇を受けている,入管収容所では被収容者を人間扱いしていない,と昨日面会した兄弟たちはふたりとも言っています.

特に,刑務所では刑期が定められていますから,いつになれば出所できるか,期限が受刑者にもはっきりわかっています.それに対して,入管収容所では,仮放免になるにせよ強制退去になるにせよ,いつ出られるのかまったく予測がつきません.

この「出口無し」の状況は精神的に非常に苦痛です.精神的な拷問と言っても過言ではないと思います.自殺にまで追いつめられてしまいます.実際,昨日聞いたところでは,最近二週間に自殺未遂が二件あったそうです.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たちが,適切な医療を受けられますように.そして,長期収容の現状が改善されますように.

そして,昨日会った兄弟がふたりとも,日本に住んでいる家族のもとへ一日も早く帰ることができますように.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たちは外を見ることができません

昨日の訪問の際に,牛久入管収容所の収容棟の裏手に行ってみました:


収容棟の手前に運動場があります.高い壁に囲まれ,壁の上にはさらに透明アクリル板の覆いが取り付けられています.それが屋根として完全に運動場を覆っているのかどうかは,よくわかりません.屋根であれば,確かに雨の日も運動場を利用できますが,外の空気に触れることはできません.

この写真ではわかりにくですが,収容棟の窓にはすべて,白い不透明フィルムが貼られており,外を見ることはできません.あのあたりの名物,牛久大仏を見ることもできません:


昨日、わたしたちは差し入れと面会をしました。
わたしたちはおよそ20人分の差し入れをしました。
この時期、被収容者からの手紙には
洗剤、石けん、半ズボン、Tシャツなどの要望が多く書かれます。

しばらくすると受付ロビーに
さいたま教区からR神父(MOPP)とS助祭そしてシスター2人とスタッフの女性が来ました。
わたしたちはかれらとたくさん話をしました。

「NGO牛久の会」のI婦人がパキスタン人S氏の仮放免のために
いっしょうけんめいでした。
S氏が受け付けロビーにあらわれました。
かれはすずしそうな民族衣装のスータンを着ていました。

わたしたちは施設内の食堂でいっしょにランチをさそいました。
でも、かれは食べ物についてとても神経を使っていました。
結局、かれは売店でかつおぶしスープのカップうどんを食べました。

また、かのじょから聞いた話によると、
最近、若い中国人が重い病気のためにある病院に緊急入院しましたが、
そこで亡くなったとのことでした。

わたしたちは若い命が無残にも絶えてしまったことに
ひじょうに悲しい気持ちでいっぱいになりました。
かれのご冥福を祈ります。
(Fran)

2014年7月10日木曜日

シスターありがとう!
シスターはわたしたちの会と活動をかげながら支えてくださっています。
昨日、シスターからのプレゼントが司祭館に届いておりました。

そのなかに石けんが入っていました。
それは被収容者たちからの要望の多い物のひとつです。
かれらは良いにおいのする石けんを使ってシャワーあびます。
そのあと、彼らの体からいい匂いがしていることでしょう。

今度、わたしたちはこの石けんを差し入れします。
かれらの喜ぶ姿が目に見えるようです。
こんごともよろしくお願いいたします。
(Fran)

2014年7月9日水曜日

おしえてください!

アサリチカラ様ご寄付ありがとうございます。
わたしたちはお返事をしたいと思っております。
あなたがこのブログをごらんになったら手紙かメールをおねがいします。

foushiku@gmail.com

〒300-0038 土浦市大町9-6
カトリック土浦教会

2014年7月4日金曜日

難民支援協会 JAR

Michael 神父様と同様に牛久収容所の兄弟姉妹たちを支援している MOPP (聖ペトロ・パウロ労働宣教会) の Rémi 神父様に,難民支援協会 (Japanese Association for Refugees) という NPO 法人の組織があることを初めて教えていただきました:




Twitter を始めました

Twitter を始めました:

https://twitter.com/foushiku

牛久入管収容所で兄弟姉妹たちと面会するときには携帯通信機器を持ち込むことはできませんが,tweet できるときにつぶやいて行きます.

よろしくお願いします.

2014年7月3日木曜日

まことに神の子として生きる

フランチェスコ教皇の7月1日の twitter message です:
Vivre comme de vrais enfants de Dieu signifie aimer le prochain et se faire proche de celui qui est seul et en difficulté.
まことに神の子として生きるということは,隣人を愛すること,また,孤独や困難のうちに暮らしている人に寄り添うことを,意味します.

わたしたちの牛久収容所訪問が,少しでも,神の愛を証言することになりますように.

7月1日に会った兄弟たちのうちひとりは,既に約2年間,牛久入管収容所に拘禁されています.そこには同じ国の出身者は誰もおらず,日本人の知人・友人も誰もいません.本当に孤独のうちに彼は暮らしています.とても気分が落ち込んでいる様子でした.それでも彼には,Michael 神父様のところへ助けを求める手紙を書く気力はまだ残っていました.それに答えてわたしが面会に来たことを感謝してくれました.

どうか彼が一日も早くこの絶望的状況から解放されますように.

Luc

2014年7月2日水曜日

昨日、わたしは二人の若いフィリッピン人と面会しました。
かれらはカトリック教徒です。
かれらはオーバーステイで捕まりました。
かれらは牛久収容施設に2年6ヶ月ほど長期収容されています。

かれらはストレスで頭痛や不眠に悩まされています。
ここで処方してくれる薬を飲むと体がますます悪くなるので、
かれらは薬を飲まずにじっと我慢しているそうです。

ときどき、わたしは言います。
「ヨブのように神に叫びなさい」!
「神に自分の苦しい思いを打ち明けなさい」!

神は聞いています。
ご返事はかならずあると思います。

かれらにがんばる力と勇気と慰めをお与えください。
(Fran)

2014年6月30日月曜日

マイケル神父様は、
アメリカ・アイルランドへ2ヶ月間旅行します。
今日の夜、かれは成田から出発します。
かれはアメリカでは親戚のシスターたちや、
「イエズス・マリアの聖心会」ホームの友人たちとすごします。
かれはアイルランドではおもにダブリンに居住します。
そして、かれはレンタカー(マニュアルシフト車)をかりて友人とドライブする予定です。
神父様はマリア様があらわれたKNOCKバジリカにも行くと言ってました。

どうか皆様、神父様のご健康と良いご旅行をお祈りしてください。

この7月・8月の2ヶ月間、
わたしたちは毎週ではありませんが牛久収容施設を訪問します。
受付ロビーに来ている顔見知りのひとたちは、
「Fatherは?」とかならずたずねます。
皆からとてもしたわれているマイケル神父様がいないのは、
わたしたちにとってもさびしいことです。

皆様からいただいたあたたかいご支援により、
テレホンカード、切手、その他日用品を準備することができました。
ほんとうにありがとうございます。
そのほかにもいろいろな困難な事情もありますので、
ひきつづきよろしくおねがいいたします。
(Fran)

2014年6月25日水曜日

座布団

昨日,6月24日,洗礼者ヨハネの祝い日,早朝は雷雨でしたが,いつものように牛久入管収容所に行ってきました.

Michael 神父様と François は所用があり,姉妹二人とわたしと,三人でした.

わたしが会った兄弟ふたりのうちひとりは,故国で少数民族の一員として迫害されています.短期滞在の名目で日本に来るためには visa が要らないので,とにかく迫害から自分の命を守るために彼は日本に来ました.しかし,故国での迫害のことを話すと,成田空港で拘束されて,結局ここ牛久入管収容所に拘禁されてしまいました.

彼が属している少数民族に対する迫害は国際的に知られた事実です.しかし,そのような人々に対しても日本政府は難民受け入れの道を閉ざしています.

もうひとりの兄弟は,20年以上日本で暮らしています.日本人女性と結婚していました.しかし,彼女は病死してしまいました.彼が生命保険や遺言などの日本の法律的事柄に関して詳しくないことを利用して,亡くなった彼の妻の兄弟は彼女の生命保険の受取人の名義を無断で変更し,彼がそれを受け取れないようにしてしまいました.彼は,日本人の配偶者の身分を失って,暫く前から牛久収容所に入れられています.しかし,弁護士費用を払うことのできない彼には,奪われてしまった生命保険金を取り戻すこともできません.

今日知ったひとつの新たな事実:牛久収容所の部屋のなかには畳敷きの部屋があります.畳敷きの部屋には椅子やベッドはありません.日中は畳の上に座り,寝るときは布団を敷きます.ところが,座布団がありません.個人的に買うことも,外部から差し入れることもできません.寝具も,折りたたみマットレスは極めて薄く,背中や腰が痛くなってしまいます.

収容されている兄弟姉妹たちのうち畳部屋で暮らしている人々が座布団を使えることができるよう,そして,寝具の質が改善されるよう,要望書を牛久入管収容所長へ送りましょう.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たち皆を主が憐れんでくださいますように.

Luc

2014年6月20日金曜日

隔離室

6月17日の火曜日に牛久入管収容所の面会室で会った兄弟は,15日日曜日に彼がわたしに電話してきたときには,普段と変わった様子ではありませんでした.

ところが,火曜日の朝会ったとき,彼は,昨日から隔離室に入れられている,と憤っていました.

隔離の理由は,彼がブロックの移動の措置を拒否したからです.彼はタバコを吸わないので,従来は非喫煙者ブロックにいたのですが,管理上の理由から喫煙者ブロックへの移動を突然強制されました.

多分,タバコを吸うのは各自の部屋でではなく,共用ホールででしょうから,非喫煙者が喫煙者ブロックに入れられれば,共用ホールで他の人々と共に過ごすことができなくなってしまいます.移動措置を拒否するのが当たり前です.

牛久入管収容所における人権侵害の新たな一例として報告します.

わたしは牛久入管収容所被収容者支援のために Michael 神父様のお手伝いをするようになってからまだ日が浅いので,施設のなかで行われていることについても,仮放免中のことについても知らないことが多いのですが,火曜日に新たに教えてもらったことがひとつありました.

それは,仮放免中の兄弟姉妹たちには居住都道府県外への移動の自由が無いということです.

例えば,わたしが仮放免中の家族の子供たちを浦安の遊園地へ連れて行ってあげようと思っても,もし彼らが仮放免中であることに警官が気づけば,彼らは逮捕され,再び収容所に入れられてしまうことになるそうです.

大変悲しいことです.

しかし今朝は,わたしたちとは別の日に牛久入管収容所を訪問している或る神父様が,ちょっと嬉しい知らせをメールで伝えてきてくれました.

外国語としてはフランス語しか話せない或る兄弟が,収容所内にはフランス語の本が無いので,フランス語の雑誌や本を持ってきて欲しいと要望したので,先日,わたしは彼が求めたものを彼に差入しました.

神父様は,昨日彼と会ったとき,彼が久しぶりにフランス語の活字を読めたことをとても喜んでいた,とわたしに伝えてくれました.

もし,このブログを読んだ方が,もう必要のないフランス語の本や雑誌をお手元にお持ちであれば,カトリック土浦教会へ寄付していただけると,大変助かります.

Luc

2014年6月17日火曜日

私たちは朝7:45分頃受付ロビーに到着しました。
もう、バブチスト派のクリスチャンボランティアの方々がいました。
そのあと、「仮放免者の会」や「BOND」などの支援団体の人たちが来ました。

「牛久の会」や「NPO北関東医療相談会」と懇意にしてくださっている
O弁護士も牛久駅からバスに乗ってきました。

今日も、受付は面会対応でとても忙しく、
差し入れはあとまわしにされました。

受付の窓口は一つだけです。
外部委託業者の女性の窓口担当者はわたしたちを気遣ってくれます。
しかし、その隣にいる職員は椅子に座りきびしいチェックをしております。

ここの受付ロビーは、
閉鎖的な利己主義と秘密主義が感じられます。
とても難しい日本国の行政を表わしているようです。
そして、
私たちはただひたすら忍耐力を養っております
(Fran)

2014年6月11日水曜日

A handsome boy, pride of the Tsuchiura Catholic Church

Father Michael and Friends of Ushiku did today the 10th June our regular visit to the Ushiku Detention House of the Japanese Immigration Bureau (入国者収容所東日本入国管理センター,牛久入管収容所).

I'd like to present here Father Michael's prayer for the detainees :
I praise you, Lord. I thank you with all my heart for the many graces and blessing that you have given me. Help and strengthen those who experience daily stress, those who are sick, those who are close to despair, those who miss their families so much. Lord, please continue to give strength and courage to all these good people who are surviving in the Detention Centre. Amen.

I met two of our brothers detained there. One has been in Japan since eight years, the other since twenty four years, without any social trouble. Why can't we receive them as Japanese citizens ?

I am very happy that one of them told me his compatriot who is the one I met on my first vist to the Ushiku House has obtained his provisional liberation. May God protect him in this sadly xenophobic society of Japan !

The last Sunday was the Pentecostal Sunday. Father Michael celebrated the first communion of several children. I was particularly impressed by one of them, a very handsome boy.

The father of this boy came to Japan with his family to escape from policital persecutions he suffered in his own country. On their arrival in Japan he and his family were detained in a Detention House of Japanese Immigration Bureau, but they are now in the condition of provisional liberation. The problem is that under this condition they can't have Japanese citizenship so that they are not allowed to work and that they can't benefit from any public service such as social security or public education.

Thanks to some benevolences the boy studies now in a private elementary school. His attitude in the ceremony of the first communion was impressively clever and reliable. He speaks beautifully the Emperor's Japanese. I think he will be capable of taking some leadership position in his society.

I pray God that his father may get political refuge in Japan and that he and his family may continue to live without persecution in this country.

Luc

2014年6月10日火曜日

今日はひさしぶりに聖公会のF司祭も同行されました。
クリスチャンボランティアや家族面会者がたくさんいました。
わたしたちはロビーに7時45分頃到着しましたが、
面会受付に時間がかかり、差し入れが終わったときは11時頃でした。

わたしはスリランカ人2人と面会しました。
かれらはともに仏教徒です。
かれらは難民申請をしております。
国に帰ると殺されてしまうと言っておりました。

わたしたちはスリランカのことについて話しました。
有名な「キャンディーのペラヘラ祭り」では
最後部の象の背中には仏陀の歯が祭られていることなど。
スリランカは今までに4つの国の植民地でした。
ポルトガル・オランダ・スペイン・イギリスだそうです。

最後に、わたしたちは「被収容者のための祈り」をささげました。
(Fran)

2014年6月3日火曜日

Our true land is the Kingdom of our Lord in Heaven.

Father Michael of the Tsuchiura Catholic Church and members of Friends of Ushiku visited this morning the Ushiku Detention House of Japanese Immigration Bureau.

I show you here a photo of the reception and administration building of the House :



Our brothers and sisters are detained in eighteen blocks, some of which are vacant for the moment.



Now there is an indication showing a passage leading to the House. When Father Michael visited the House for the first time more than fifteen years ago, there was no such indication, so that he couldn't find this passage. It is relatively recently that they settled this blue plate.

I tried to take photos of sinisterly high walls of detention buildings, but I couldn't because they forbid us to come near to the walls.

All the windows of the detention buildings are opacified with whitish film, so that our brothers and sisters can see neither the blue sky  nor surrounding trees. Please imagine that. It's really suffocating. 

Today Father Michael talked with two of our brothers, and I saw also two of them.

I was glad to have heard that one of the two I met today would be released provisionally tomorow after his detention of one year and five months.

But we can't be too happy because he is forbidden to work in Japan so that he can't have a really independent life in this country.

The other brother I talked with today came to Japan to escape from life threatenning persecution in his mother country. He explained his dangerous situation to immigration officers in Narita. And they arrested him to transfer him to Ushiku.

That's the sad Japanese manner to receive people persecuted in their own country and expelled therefrom. There is no hospitality at all.

We must know that we are all transient being in this world. Our true land is the Kingdom of our Lord in Heaven. There are many place enough for all of us, for our Lord says : "In my Father's house there are many dwelling places. If there were not, would I have told you that I am going to prepare a place for you ? And if I go and prepare a place for you, I will come back again and take you to myself, so that where I am you also may be" (Jn 14,2-3).

Waiting for that momemt of Parousia, we should share this narrow world with all of our brothers and sisters.

May the Lord give us the heart that enables us to love each other.

Luc

今日、わたしたちはフルメンバーで牛久収容所に行きました。
ロビーで、マイケル神父様は
ひさしぶりに出会ったイラン人女性牧師と楽しそうに話をしておりました。

わたしはタイ人とミャンマー人の二人を面会室で待ちましたが、
「相手の都合で来られない」と伝えられました。
・体調が悪いのか?
・面会したくなかったのか?
・シャワー中だったのか?
・わずかに許されている運動中だったのか?
なにも分からずに引き下がるしかありませんでした。

そのあとは、およそ20人分の差し入れをしました。
靴や洗剤が多かったので、
受付の女性もためいきをもらしていました。
ごくろうさまでした。(Fran)

2014年5月27日火曜日

牛久の友の会は,牛久入管収容所の兄弟姉妹たちと連帯します.

牛久の友の会は,茨城県牛久市にある法務省施設,入国者収容所東日本入国管理センター,略して,牛久入管収容所,または単に,牛久収容所に拘禁されている人々とともに祈る活動を十数年来続けている Michael Coleman 神父様(カトリック土浦教会主任司祭)と行動を共にするカトリックのグループです.

神父様のお祈りの言葉を,わたしたちの兄弟 François が上に掲げてくれてあります.

わたしたちは,被収容者の人々に宣教しているわけではなく,単に,面会し,おしゃべりし,日常生活に必要なもの,たとえば衣類,歯ブラシ,歯磨き,石鹸,洗剤,テレフォンカード,切手などの欠乏に困っている人々には,それらの品物を,わたしたちの限られた資源の範囲内で可能な限り差し入れしています.

そして,彼らのために,彼らとともに,祈ります.

ひとことで言えば,主イェス・キリストがわたしたちに命じたこと:「隣人を愛しなさい」を実践しようと努力しています.そも,聖パウロが言うように,「他者を愛する者は,律法を完遂したのである」(Rm 13,8).

わたしたちの活動に共感してくださる方は,どうか共に祈ってください.そして,可能であれば,資金について御支援いただければ幸いです.

今日は,Michael 神父様とわたしと二人で面会に行ってきました.

神父様は,先週と同様,フィリピン人ふたりと会いました.

わたしが今日会った人は,日本で10年間暮らしてきたのに,過失致死で実刑判決を受け,服役したことにより,滞在資格を失ってしまいました.彼の家族は日本で生活しているのに,受刑を終えても彼は家族のもとに帰ることができません.このような法的措置は,法律体系がそれによっているはずの基本的な人倫に反しています.

彼が家族と共に暮らすことができるよう,祈ります.

Because our brother François suggested me that we might write in Einglish in this blog so that English speaking people can read and know what we do, I try to do so.

Our group, Friends of Ushiku, is a small group of members of Tsuchiura Catholic Church who collaborate with Father Michael Coleman sscc in his activities of compassion and solidarity with detainees of the House of Detention of the Japanese Immigration Bureau, situated in Ushiku City, Ibaragi Prefecture.

Those detainnes are our brothers and sisters who lost or don't have permission to stay in Japan. Some came to Japan without valid visa to escape from persecution they suffered in their own country and to seek refuge in Japan. Others have lived and worked in Japan more than ten years or twenty years without problem and one day they were told by an immigration officer that they can not stay in Japan any more for such and such reasons. And they were arrested like a criminal.

Problems of violation of human rights of detainees and neglect of custodial duties of warders that happen in this House have been pointed out since years. Even very recently, in the last March 2014, two detainees died successively, one because of diabetic complications, the other because of asphyxia caused by aspirated laryngeal foreign body. In both cases, lack of appropriate medical treatment was evident.

Father Michael is a catholic priest, but he doesn't preach to detainees. He simply talks with them and hears carefully what they say with friendship and compassion. And if they suffer from lack of things they need in their every day life of detainee, he gives them, for exemple, telephone cards, postal stamps, clothes, underwears, soap, tooth brush, washing powders, etc. He does so in very limited resources he has in his disposition. And the most important thing is to pray for them and with them. So do we too.

If you feel a sympathy for our poor brothers and sisters detained for years in inhuman conditions, please pray with us for them. And if you would and could, please help them also materially. Your contribution is always welcome.

And if you visit our brothers and sisters in the House of Ushiku and you have a difficulty of communication because our brother or sister doesn't speak English but French, you can contact me by e-mail, for I speak French. My address is :

jeanmarieloukas@gmail.com

Luc

2014年5月25日日曜日

牛久入管に収容されているフィリッピン人のA婦人からの手紙です。
画像の下に日本語訳があります。(Fran)


--- 日本語訳(Luc) ---

2014年5月X日

Michael Coleman 神父様,
Hさん,Oさん,Iさん,そして
カトリック教会の皆様へ

こんにちは!大事なことをお知らせします.
仮放免書に昨日サインしました.来週この施設を出ます.
でも,明日のことを考えると,神経質になります.
今もなお,社会の行くすえと,
神がわたしについて計画なさっていることとに,思いを馳せています.

あなたたちに感謝します.
ここで過ごした苦労の多い日々,
わたしに洞察を与えてくださったこと,
わたしを力づけてくださったこと,
わたしに忍耐を教えてくださったこと,
わたしに会いに来てくださったことに感謝します.

いつもお元気で.
わたしは,あなたたちのことを決して忘れません.
敬具
A(Philippine)

2014年5月21日水曜日

牛久入管収容所でのもうひとりの被収容者死亡事故について

昨日は,神父様,女性二人,わたしの四人で牛久収容所訪問をしてきました.

神父様はフィリピンの人ふたりと面会しました.

わたしが会った人は,日本で25年間まじめに働いてきたのに,4年前に離婚したために滞在資格を自動的に喪失してしまい,visa の更新手続きに行った際に逮捕されました.

彼の離婚の理由は,奥さん(日本人)の父親が,自分の娘が外国人と結婚していることを認めようとしなかったためです.奥さんは,自分の父親の意向を無視することができず,子供がふたりいるのに,自分の意に反して離婚せざるを得ませんでした.

離婚の理由も,25年間日本で働いてきたのに滞在資格が得られないことも,実に不条理です.

フランスでは,10年間フランスに住み続ければ,永住資格が認められます.25年間何の問題も無く日本にいた人を日本から追い出す!まったく非人道的です.

彼はもう二年近く牛久に収容されています.すっかり心身症的になってしまいました.

どうか彼が早く自由を取り戻せますように.

三月に亡くなったふたりの方のうち,前回言及しなかった方については,死因は誤嚥による窒息であると聞いています.

若い人なのに誤嚥したのは,彼が,精神病の治療に使われる薬を不適切に大量に服用させられていたからだと思われます.

その類の薬は,副作用としてパーキンソン症状を起こします.そのせいで構音障害や嚥下困難が起こります.彼の誤嚥はそのために起こったのだろうと推測されます.

そして,誤嚥後の処置も全く不適切でした.

この人の死亡についても,収容所側の保護義務違反は明白です.

主が御国で彼の涙をぬぐってくださいますように.

Luc


2014年5月13日火曜日

牛久入管収容所での被収容者死亡事故について

祝日の火曜日が続いたので,今日は久しぶりに訪問してきました.Michael 神父様と女性二人とわたしと計四人です.

わたしは初めて投稿します.Luc です.外国語としてはフランス語しかできない人々(以前,フランスの植民地だった国々の人々)と対話するために去年秋から神父様たちに同行しています.

もしそのような人々と対話するための手助けをする機会を提供してくださる場合は,ここへメールしてください:

jeanmarieloukas@gmail.com

フランス語話者のためには,或るフランス人神父様も,わたしたちとは別の曜日に,ひとりで牛久訪問をなさっています.

今日会った人はそのようなフランス語話者のひとりです.二回目の面会です.

最初の面会の後にわたしが彼に差し入れたフランス語で書かれた日本語入門書は,彼の役に立っている,と彼は言ってくれました.牛久に収容されてちょうど6ヶ月間たちましたので,彼も少し日本語を話せるようになりました.

彼は,3月に亡くなった二人のうちのひとりと同じブロックに収容されています.亡くなった人は,そのブロックで彼以外にただひとりのフランス語話者でした.その話し相手を失って,彼は落ちこんでいました.

彼から,3月に亡くなった人について若干の情報を得ました.

亡くなった方は,自国にいるときから糖尿病の治療を受けていました.わたしは彼と昨年12月10日にたまたま面会していました.その時点で,彼が牛久に収容されて2ヶ月が経過していましたが,彼は自分の健康問題に関する訴えはわたしには何もしませんでした.

収容所職員は,彼が糖尿病患者であることを当然認識していたはずです.にもかかわらず,糖尿病治療に必要不可欠な食事療法は為されませんでした.つまり,糖尿病患者のための食事を彼に提供する医学的配慮が収容所には全く欠けていたのです.

そのことが彼の病状の悪化を惹起したことは疑いようがありません.死因は,糖尿病性昏睡か,糖尿病症状のひとつとして起きた壊疽病巣により惹起された敗血症であろうと推測されます.

収容所側の被収容者に対する保護義務は,明らかに全く果たされていませんでした.

主が御国で彼の涙をぬぐってくださいますように.

Luc

2014年4月30日水曜日

昨日は休みだったので、
今日はおよそ12人分の差し入れだけをしました。
駐車場は各地から来た車でいっぱいでした。
おそらく家族面会者と思います。

受付ロビーに入るとU会のご婦人たちがいました。
そして、韓国人のK氏とペルー人のG女子もいました。
K氏はコンピュータやスマートホンにとても詳しい人です。
わたしたちはG女子の読みにくい意味不明なカタカナ文字の手紙にはなやまされました。
かれらは仮放免されてからU会の手伝いをしているようです。
かれらは元気そうでした。

面会者が順番に面会室に呼ばれたあと、
わたしたちは次の面会まで30分以上待たされます。
差し上げだけの場合は、受付番号を取らずに窓口に行きます。
窓口はかれらの空いている時間に差し入れを受け付けます。
新しい面会者が来ると、差し入れは中断されます。
大家族のばあいは、わたしは30分以上待たされたことがあります。
今日は運よく1回で完了しました。

わたしは不思議に思います。なぜなら、
かれらは面会受付の場合はチェックがとてもきびしく時間もかけますが、
差し入れだけの場合はとてもスムーズなことです。
どうしてでしょうか? (K.K)

2014年4月24日木曜日

今日は電車とバスで牛久収容施設に行きました。

まず、常磐線JR牛久駅東口に出ると、バス停①が目の前にあります。
そこの時刻表の下にメッセージがあります。
「入国管理事務所へおいでの方は牛久淨苑(大仏)行きの農芸学院でお降りください」
バスは1日5往復だけです。
牛久駅東口⇒農芸学院  9:55、11:35、12:55、13:50、15:20
農芸学院⇒牛久駅東口 10:28、13:08、13:53、14:43、16:18
バス代片道¥480(25分ほど)
そこから林の中を7~8分ほど歩いて、やっとたどりつきました。

受付番号は13番でした。

わたしはベトナム人のT氏に面会しました。
かれはオーバースティでつかまり牛久収容所に長期収容されています。
最近かれの奥さんもオーバースティでつかまり、
東京(品川)入国管理に収容されています。
そして、かれらのおさない子供たちは保護施設にあずけられています。
かれらは離れ離れです。
なんとつらいことか!

かれらのために祈ってください。
イエズス・マリア助けてください!

面会時間の30分はあっという間に過ぎてしまい、
わたしたちは別れました。 (K.K)

2014年4月15日火曜日

私たちは朝8時前に受付ロビーにつきました。
もうそこにはB派のクリスチャンボランティアが3人ほど来ていました。
かれらはとても熱心に活動しております。

しばらくすると、
S会のご夫婦が桃のようなピンクの赤ちゃんをかかえて来ました。
ちょうどわたしは見ていませんでしたが、
マイケル神父はうれしそうに話してくれました。
かれらの夫がロビーの中で赤ちゃんのおむつを取り替えました。
素晴らしいと思いました。

バングラデッシュ人のMD氏とブラジル人A氏に会いました。

MD氏はだいじそうにある宗教の本をかかえていました。
その中にはいろいろな注釈が書き込まれていました。
かれは少し批判的でした。
しかし、かれはそれがばれるとあぶないとも言っていました。

わたしとA氏はかれのおもしろい話を熱心に聞きました。
いつのまにか面会時間が終わりました。
MD氏は別れる前に
「話が出来てとてもうれしかった
そして気持ちもすっきりしました。」と言いました。 (K.K)

2014年4月8日火曜日

今日、マイケル神父と男性2名と婦人2名で、
わたしたちは面会と差し上げをしました。

わたしたちは比較的にスムーズに面会できましたが、
そのあと家族の面会者がおおぜい来たので、
わたしたちの次に来た支援グループの人はだいぶ待たされました。

わたしが会ったのは若いスリランカ人でカトリック教徒のP氏と、
そして若い中国人のT氏でした。

T氏は聖書を持っていました。
かれは今熱心に聖書を読んでいると言っていました。
「私はもっと若いときに神様の言葉に出会えたらよかった」、と、
かれは悔しい気持ちを話しました。
「そんなことはない、今からでも遅くない」とP氏とわたしはなだめました。
そしてP氏は話しました、
「大事なことは、赦すことと困っている人を助けることだ」と。

最後に、わたしたちは”被収容者のための祈り”を祈ってから
面会を終了しました。

桜も咲いていて天気も良いので、
わたしたちは外であたたかい缶コーヒーを飲みました。 (K.K)

2014年4月1日火曜日

今日、マイケル神父と2名の婦人と私で、
入管牛久収容所に面会と差しあげに行ってきました。
家族の方の面会者はおりませんでした。

そして受付ロビー内の壁には、
続けて死亡した2名の被収容者についての掲示がありました。
ここで彼らの若いいのちが絶えてしまったことを非常に残念に思います。
こころからご冥福をお祈りいたします。

支援団体の人たちがあわただしく動いておりましたが、
比較的に早く差し入れを終えることが出来ました。

若いフィリッピン人とブラジル人に面会しました。
私はここの医療制度に大きな問題があると思います。
彼は腕にそうとうひどい湿疹があるのに、
2ヶ月たってもまだ診てもらえないと言っていました。
私はいつも彼らに「健康にだけは十分に気をつけて」といっております。
病気になったらますます悪くなるばかりです。
これから先の人生がだめになってしまいます。

お大事に (K.K)


2014年3月24日月曜日

明日3月25日(火)にはマイケル神父と2人の婦人が面会と差しあげをする予定です。
わたしはあいにく行けませんが、差し入れの準備はしました。

最近被収容者が増えてきており、
毎週届く手紙の中には、1通に10名ほどの要望リストが書いてあるものもあります。
把握できている200名ほどの被収容者の要望リストを整理し、
なるべく等間隔で差し入れをするために苦労しております。

差し入れ品のなかでも人気のある洗濯洗剤は大きくて重いので、
10人分ぐらい用意するととても大きな荷物になります。
わたしたちは「毎週火曜日にはサンタクロースだね」と
笑いながら一生懸命にそれを受付ロビーまで運びます。

受付の係員も心配そうで、どのくらいの差し入れがあるのか聞きに来ます。
彼らにとっても手のかかる大変な作業となります。
明日もよろしくお願いいたします。(K.K)

2014年3月11日火曜日

3月11日(火)、マイケル神父と私と2名の婦人で
牛久収容施設に面会と差し入れに行ってきました。
今日は混雑しておらず、差し入れも比較的にスムーズにできました。

私は若いブラジル人の被収容者に会いました。
かれは9歳のころ日本に来て、高等学校を中退し、
何かのもめごとで刑務所に服役し、
その後入管収容施設に約1年ほど拘束されております。

このまま日本で収容生活を続けても夢も希望もないので、
近々にブラジルに帰って、身についた日本語を活用して、
日本人観光客の現地ガイドなどして暮らしたいと言っておりました。

最後に私のFaceBook名称を教えました。
帰国したらインターネットなどしたいと言っておりました。
God Bless You!(K.K)

2014年3月10日月曜日

いまわたしたちは大きな問題をかかえております。
支援している仮放免者たちのなかに、スリランカ人のご家族がおります。
かれらはご夫婦と3人の子どもたちです。

教会のご婦人たちがお金を出し合って、
食料品(米、肉、魚、野菜など)をさしあげており、
また卵や、毎週パンを寄付してくださる方もおりますが、
そのほかはマイケル神父が全面的に支援しております。

そのなかでも、家賃、光熱費はもちろんのこと、
父親の喘息や子供の骨の病気のための治療費(健康保険なし)、
公立小学校には就学できないので、私立小学校の学費、
仮放免再申請で東京(品川)入国管理事務所へ出頭するための交通費など、
その他際限がありません。

そのような財政的困難さの中で、
わたしたちは、かれらたちとともに生き、
かれらがいるあいだは支援しつづけていこうと思い、
「牛久の友の会」を設立いたしましたので、
みなさまのご支援(ご寄付)をよろしくお願いいたします。(K.K)

2014年3月5日水曜日

被収容者から生活用品の差し入れ依頼の手紙が来ます。
男女合計で毎週20人ぐらいに差し入れしております。


<トップ10>
1位:プリペイド国際テレホンカード 
2位:洗濯洗剤           
3位:歯磨きペースト        
4位:歯ブラシ           
5位:石けん            
6位:ボディソープ         
7位:シャンプー          
8位:切手             
9位:手紙セット          
10位:服(下着)         

季節によっても変化しますが、
冬はセーターやジャケットの依頼が多いです。
わずかな運動の時間で使うひもなし運動靴や、
聖書・ロザリオ・十字架、英日辞書などもあります。
これらのものをなるべく安く購入するためにあちこちさがし、
毎週準備に追われております。(K.K)

3月4日(火)、マイケル神父と私と2名の婦人で
牛久収容施設に面会と差し入れにいってまいりました。
最近は1年以上の長期収容者が増えてきております。
トルコ(クルド)人たちが多く記載されておりました。

はじめは受付ロビーには面会者がほとんどいませんでしたが、しばらくすると、
トルコ人のご家族が赤ちゃんや子供を連れて大勢入ってきました。
そのために、一つしかない受付窓口は、面会受付優先のため、
「差し入れ」はだいぶ待たされ、なおかつ中断されて、
8時から12時までかかってしましたした。

面会は、同一ブロックで2名までと制限されている中で、
私達は被収容者の健康状態や近況または、必要な生活用品を聞き、
それからともに祈り、別れを惜しみつつ面会室を引き上げました。

かれらは、外の見えない部屋の中に拘束され大きなストレスをかかえております。
睡眠薬をもらっているが、なかなか眠れないときがあると言っておりました。
また、病気にならないように気をつけているとも言っておりました。

重篤な病気になった被収容者は入院させられることなく、
仮放免され放り出されております。
なにか疑問を感じざるを得ません。(K.K)

2014年3月2日日曜日

すでにご存知のように、オーバースティの外国人は、
牛久にある東日本入国管理センターに収容されております。

かれら被収容者は多くの問題をかかえております。
貧困又は迫害などのため帰国することができません。
生活用品などはどうしても必要なものですが、
着ている着物以外ほとんど何も持っていません。
そして、テレホンカードを買うお金もないので、
家族や友人に連絡するすべもありません。
強制送還の不安や拘束された居室によるストレスで、
多くの被収容者がさまざまな病気をかかえております。

わたしたちは毎週訪問し、かれらをなぐさめ、はげまし、
かれらの諸問題の解決のためにアドバイスをします。
そして、かれらに必要な生活用品をさし上げ、
かれらといっしょにお祈りをいたします。

もし、かれらが仮放免されたばあいには、
かれらが仕事をすることはゆるされていないので、
支援を求めてきたら、できるだけサポートしております。

このような大切な活動を続けるために、
皆様のあたたかいご支援とお祈りが必要となります。
そのために、わたしたちは「牛久の友の会」を設立いたしました。
会員一人ひとりから、年間一口5000円、
もしくはそれ以上をお願いしております。
そのために常陽銀行に口座を作りましたので、
さしつかえなければ、毎年四旬節の時期に、
会費のお願いの手紙を送らせていただきます。

貧しい人、ホームレス、困っているひとたちを、
非常に愛してくださった主は、
あなたに特別ないつくしみとめぐみを
お与えくださることを
お祈りいたします。(Fr.M.C)