入管被収容者のための祈り


神様あなたを賛美します。あなたからいただいた数多くの恵のために感謝いたします。
入管に収容され、大きな強いストレスの中で、失望のどん底に落ち、
病気のために苦しみ、家族や友人からひきさかれている皆様をお守りください。
どうぞ主よ、このようなきびしい環境の中にいる皆さんに、
がんばる力と勇気と慰めをお与えください。アーメン (Fr.Michael.Coleman)

2014年6月30日月曜日

マイケル神父様は、
アメリカ・アイルランドへ2ヶ月間旅行します。
今日の夜、かれは成田から出発します。
かれはアメリカでは親戚のシスターたちや、
「イエズス・マリアの聖心会」ホームの友人たちとすごします。
かれはアイルランドではおもにダブリンに居住します。
そして、かれはレンタカー(マニュアルシフト車)をかりて友人とドライブする予定です。
神父様はマリア様があらわれたKNOCKバジリカにも行くと言ってました。

どうか皆様、神父様のご健康と良いご旅行をお祈りしてください。

この7月・8月の2ヶ月間、
わたしたちは毎週ではありませんが牛久収容施設を訪問します。
受付ロビーに来ている顔見知りのひとたちは、
「Fatherは?」とかならずたずねます。
皆からとてもしたわれているマイケル神父様がいないのは、
わたしたちにとってもさびしいことです。

皆様からいただいたあたたかいご支援により、
テレホンカード、切手、その他日用品を準備することができました。
ほんとうにありがとうございます。
そのほかにもいろいろな困難な事情もありますので、
ひきつづきよろしくおねがいいたします。
(Fran)

2014年6月25日水曜日

座布団

昨日,6月24日,洗礼者ヨハネの祝い日,早朝は雷雨でしたが,いつものように牛久入管収容所に行ってきました.

Michael 神父様と François は所用があり,姉妹二人とわたしと,三人でした.

わたしが会った兄弟ふたりのうちひとりは,故国で少数民族の一員として迫害されています.短期滞在の名目で日本に来るためには visa が要らないので,とにかく迫害から自分の命を守るために彼は日本に来ました.しかし,故国での迫害のことを話すと,成田空港で拘束されて,結局ここ牛久入管収容所に拘禁されてしまいました.

彼が属している少数民族に対する迫害は国際的に知られた事実です.しかし,そのような人々に対しても日本政府は難民受け入れの道を閉ざしています.

もうひとりの兄弟は,20年以上日本で暮らしています.日本人女性と結婚していました.しかし,彼女は病死してしまいました.彼が生命保険や遺言などの日本の法律的事柄に関して詳しくないことを利用して,亡くなった彼の妻の兄弟は彼女の生命保険の受取人の名義を無断で変更し,彼がそれを受け取れないようにしてしまいました.彼は,日本人の配偶者の身分を失って,暫く前から牛久収容所に入れられています.しかし,弁護士費用を払うことのできない彼には,奪われてしまった生命保険金を取り戻すこともできません.

今日知ったひとつの新たな事実:牛久収容所の部屋のなかには畳敷きの部屋があります.畳敷きの部屋には椅子やベッドはありません.日中は畳の上に座り,寝るときは布団を敷きます.ところが,座布団がありません.個人的に買うことも,外部から差し入れることもできません.寝具も,折りたたみマットレスは極めて薄く,背中や腰が痛くなってしまいます.

収容されている兄弟姉妹たちのうち畳部屋で暮らしている人々が座布団を使えることができるよう,そして,寝具の質が改善されるよう,要望書を牛久入管収容所長へ送りましょう.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たち皆を主が憐れんでくださいますように.

Luc

2014年6月20日金曜日

隔離室

6月17日の火曜日に牛久入管収容所の面会室で会った兄弟は,15日日曜日に彼がわたしに電話してきたときには,普段と変わった様子ではありませんでした.

ところが,火曜日の朝会ったとき,彼は,昨日から隔離室に入れられている,と憤っていました.

隔離の理由は,彼がブロックの移動の措置を拒否したからです.彼はタバコを吸わないので,従来は非喫煙者ブロックにいたのですが,管理上の理由から喫煙者ブロックへの移動を突然強制されました.

多分,タバコを吸うのは各自の部屋でではなく,共用ホールででしょうから,非喫煙者が喫煙者ブロックに入れられれば,共用ホールで他の人々と共に過ごすことができなくなってしまいます.移動措置を拒否するのが当たり前です.

牛久入管収容所における人権侵害の新たな一例として報告します.

わたしは牛久入管収容所被収容者支援のために Michael 神父様のお手伝いをするようになってからまだ日が浅いので,施設のなかで行われていることについても,仮放免中のことについても知らないことが多いのですが,火曜日に新たに教えてもらったことがひとつありました.

それは,仮放免中の兄弟姉妹たちには居住都道府県外への移動の自由が無いということです.

例えば,わたしが仮放免中の家族の子供たちを浦安の遊園地へ連れて行ってあげようと思っても,もし彼らが仮放免中であることに警官が気づけば,彼らは逮捕され,再び収容所に入れられてしまうことになるそうです.

大変悲しいことです.

しかし今朝は,わたしたちとは別の日に牛久入管収容所を訪問している或る神父様が,ちょっと嬉しい知らせをメールで伝えてきてくれました.

外国語としてはフランス語しか話せない或る兄弟が,収容所内にはフランス語の本が無いので,フランス語の雑誌や本を持ってきて欲しいと要望したので,先日,わたしは彼が求めたものを彼に差入しました.

神父様は,昨日彼と会ったとき,彼が久しぶりにフランス語の活字を読めたことをとても喜んでいた,とわたしに伝えてくれました.

もし,このブログを読んだ方が,もう必要のないフランス語の本や雑誌をお手元にお持ちであれば,カトリック土浦教会へ寄付していただけると,大変助かります.

Luc

2014年6月17日火曜日

私たちは朝7:45分頃受付ロビーに到着しました。
もう、バブチスト派のクリスチャンボランティアの方々がいました。
そのあと、「仮放免者の会」や「BOND」などの支援団体の人たちが来ました。

「牛久の会」や「NPO北関東医療相談会」と懇意にしてくださっている
O弁護士も牛久駅からバスに乗ってきました。

今日も、受付は面会対応でとても忙しく、
差し入れはあとまわしにされました。

受付の窓口は一つだけです。
外部委託業者の女性の窓口担当者はわたしたちを気遣ってくれます。
しかし、その隣にいる職員は椅子に座りきびしいチェックをしております。

ここの受付ロビーは、
閉鎖的な利己主義と秘密主義が感じられます。
とても難しい日本国の行政を表わしているようです。
そして、
私たちはただひたすら忍耐力を養っております
(Fran)

2014年6月11日水曜日

A handsome boy, pride of the Tsuchiura Catholic Church

Father Michael and Friends of Ushiku did today the 10th June our regular visit to the Ushiku Detention House of the Japanese Immigration Bureau (入国者収容所東日本入国管理センター,牛久入管収容所).

I'd like to present here Father Michael's prayer for the detainees :
I praise you, Lord. I thank you with all my heart for the many graces and blessing that you have given me. Help and strengthen those who experience daily stress, those who are sick, those who are close to despair, those who miss their families so much. Lord, please continue to give strength and courage to all these good people who are surviving in the Detention Centre. Amen.

I met two of our brothers detained there. One has been in Japan since eight years, the other since twenty four years, without any social trouble. Why can't we receive them as Japanese citizens ?

I am very happy that one of them told me his compatriot who is the one I met on my first vist to the Ushiku House has obtained his provisional liberation. May God protect him in this sadly xenophobic society of Japan !

The last Sunday was the Pentecostal Sunday. Father Michael celebrated the first communion of several children. I was particularly impressed by one of them, a very handsome boy.

The father of this boy came to Japan with his family to escape from policital persecutions he suffered in his own country. On their arrival in Japan he and his family were detained in a Detention House of Japanese Immigration Bureau, but they are now in the condition of provisional liberation. The problem is that under this condition they can't have Japanese citizenship so that they are not allowed to work and that they can't benefit from any public service such as social security or public education.

Thanks to some benevolences the boy studies now in a private elementary school. His attitude in the ceremony of the first communion was impressively clever and reliable. He speaks beautifully the Emperor's Japanese. I think he will be capable of taking some leadership position in his society.

I pray God that his father may get political refuge in Japan and that he and his family may continue to live without persecution in this country.

Luc

2014年6月10日火曜日

今日はひさしぶりに聖公会のF司祭も同行されました。
クリスチャンボランティアや家族面会者がたくさんいました。
わたしたちはロビーに7時45分頃到着しましたが、
面会受付に時間がかかり、差し入れが終わったときは11時頃でした。

わたしはスリランカ人2人と面会しました。
かれらはともに仏教徒です。
かれらは難民申請をしております。
国に帰ると殺されてしまうと言っておりました。

わたしたちはスリランカのことについて話しました。
有名な「キャンディーのペラヘラ祭り」では
最後部の象の背中には仏陀の歯が祭られていることなど。
スリランカは今までに4つの国の植民地でした。
ポルトガル・オランダ・スペイン・イギリスだそうです。

最後に、わたしたちは「被収容者のための祈り」をささげました。
(Fran)

2014年6月3日火曜日

Our true land is the Kingdom of our Lord in Heaven.

Father Michael of the Tsuchiura Catholic Church and members of Friends of Ushiku visited this morning the Ushiku Detention House of Japanese Immigration Bureau.

I show you here a photo of the reception and administration building of the House :



Our brothers and sisters are detained in eighteen blocks, some of which are vacant for the moment.



Now there is an indication showing a passage leading to the House. When Father Michael visited the House for the first time more than fifteen years ago, there was no such indication, so that he couldn't find this passage. It is relatively recently that they settled this blue plate.

I tried to take photos of sinisterly high walls of detention buildings, but I couldn't because they forbid us to come near to the walls.

All the windows of the detention buildings are opacified with whitish film, so that our brothers and sisters can see neither the blue sky  nor surrounding trees. Please imagine that. It's really suffocating. 

Today Father Michael talked with two of our brothers, and I saw also two of them.

I was glad to have heard that one of the two I met today would be released provisionally tomorow after his detention of one year and five months.

But we can't be too happy because he is forbidden to work in Japan so that he can't have a really independent life in this country.

The other brother I talked with today came to Japan to escape from life threatenning persecution in his mother country. He explained his dangerous situation to immigration officers in Narita. And they arrested him to transfer him to Ushiku.

That's the sad Japanese manner to receive people persecuted in their own country and expelled therefrom. There is no hospitality at all.

We must know that we are all transient being in this world. Our true land is the Kingdom of our Lord in Heaven. There are many place enough for all of us, for our Lord says : "In my Father's house there are many dwelling places. If there were not, would I have told you that I am going to prepare a place for you ? And if I go and prepare a place for you, I will come back again and take you to myself, so that where I am you also may be" (Jn 14,2-3).

Waiting for that momemt of Parousia, we should share this narrow world with all of our brothers and sisters.

May the Lord give us the heart that enables us to love each other.

Luc

今日、わたしたちはフルメンバーで牛久収容所に行きました。
ロビーで、マイケル神父様は
ひさしぶりに出会ったイラン人女性牧師と楽しそうに話をしておりました。

わたしはタイ人とミャンマー人の二人を面会室で待ちましたが、
「相手の都合で来られない」と伝えられました。
・体調が悪いのか?
・面会したくなかったのか?
・シャワー中だったのか?
・わずかに許されている運動中だったのか?
なにも分からずに引き下がるしかありませんでした。

そのあとは、およそ20人分の差し入れをしました。
靴や洗剤が多かったので、
受付の女性もためいきをもらしていました。
ごくろうさまでした。(Fran)