入管被収容者のための祈り


神様あなたを賛美します。あなたからいただいた数多くの恵のために感謝いたします。
入管に収容され、大きな強いストレスの中で、失望のどん底に落ち、
病気のために苦しみ、家族や友人からひきさかれている皆様をお守りください。
どうぞ主よ、このようなきびしい環境の中にいる皆さんに、
がんばる力と勇気と慰めをお与えください。アーメン (Fr.Michael.Coleman)

2014年7月31日木曜日

昨日、わたしたちはいつものように牛久入管の受付ロビーで
窓口が開くのを待っていました。

すると、「NGO 牛久入管収容所問題を考える会(牛久の会)」のひとたちが
かれらはおおぜいやってきました。
そのなかには、韓国人のK氏とペルー人のG婦人がいました。
かれらは仮放免者です。
皆さんは黙々と面会の手続きをしていました。

わたしの受付番号は”2”でした。
わたしは呼ばれたのでロッカールームに入りました。
わたしはデジタルカメラやレコーダーなどが入っているカバンと
携帯電話をロッカーの中に入れて鍵をかけました。
これらは持ち込み禁止となっています。

それから、わたしは”面会室5”に入りました。
そこは横が1.5Mで縦が3Mほどの小部屋で
中央部分は厚いガラスで仕切られています。
ガラスの下はカウンターテーブルになっています。
また、お互いの声が聞えるように、
仕切りの左下はパンチ穴の開いた鉄板があります。
そして、仕切りの両側にはパイプ椅子が2個づつ置いてあります。

それから、わたしたちはしばらく待たされます。

わたしは若いウガンダ人と中国人に面会しました。
わたしたちは初対面でしたのですこし照れていました。
でも、かれらは私の顔を見て微笑みました。
私もつられて微笑みました。

それから、わたしたちはいろいろな話をしました。
あっというまに面会終了になりました。

ちなみに、面会時間は20分から30分です。
入管の職員の方が面会室の外で監視しています。
(Fran)


2014年7月23日水曜日

予定外でしたが、今日わたしは面会と差し入れのために行きました。
差し入れリストの差し上げ予定者がとても増えてきましたので、
それをすこしでも減らすために、わたしは10人ほど差し入れをしました。
そして、ある中国人が「面会したい」と手紙に書きましたので、
わたしは彼と面会しました。

かれは20年ほど日本に住んでいました。
かれはオーバースティでつかまり、品川から牛久の収容施設に収容されてまだ数ヶ月です。
かれは国に家族も友達も仕事もないので帰れないのです。
かれはなにかの法律問題で弁護士と相談しているところです。
しかし、わたしたちはそのような問題については対応できません。
わたしは彼にそのことを伝えました。
かれはほほえんでいました。

はなしはかわって、かれはこんな話をしました。
同じアジアの民族の人たちがどうしていがみ合うのだろうか?
わたしたち人間は皆、平和と繁栄を望んでいます。
そして、人間は皆よい心をもっていて、困っている人を助けます。
わたしたち一人ひとりのお互いの関係は、
国と国との政治的・歴史的関係で置き換えられません。
それはべつものです。

わたしたち一人ひとりは誰も傷つけようとしません。
皆良い心を持っています。

わたしは深く同意しました。
全くそのとおりです!

最後に、「被収容者のための祈り」をゆっくり唱えました。
彼はそれを神妙に聞いていました。
たがいに”がんばろう”といって面会を終了しました。
(Fran)

2014年7月18日金曜日

牛久入管収容所でまたも死亡事例

昨日,2014年7月17日の面会で二人の兄弟から聞いたところによると,牛久入管収容所に1年弱の期間収容されていた兄弟が,7月11日に病死しました.またしても施設側の被収容者に対する保護義務違反の事例です.

亡くなったのはまだ20歳台の若い男性です.彼は,昨年11月ころから胸部痛と頭痛を訴えて,診療を求めていました.収容所の医師は異常無しと診断しました.

しかし,症状は悪化し続け,今年5月にやっと外部の医療機関への受診が実現しました.診断は,肺癌とその脳転移でした.

法務省は,すぐさま彼に正式な滞在許可を与え,彼は牛久入管収容所の被収容者ではない,という体裁を整えました.6月には,医療機関も,収容所近くの病院から都内の病院へ変更されました.

彼は7月11日に死去しました.法務省に言わせれば,「合法的に日本に滞在している或る外国人が不幸にして都内の病院で病死した」だけのことで,牛久入管収容所とは何の関係もない出来事だ,というわけです.何という欺瞞でしょう!

悪性腫瘍ですから完治は難しかったかもしれませんが,早期の診断治療が為されていれば延命できたでしょう.彼の家族は日本に住んでいます.死ぬまでの時間を家族と共に過ごす機会を,法務省は彼から奪ったのです.

このケースは,牛久入管収容所の被収容者に対する保護義務違反の新たな事例として記録されるべきです.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たちが適切な医療を受けられますように.より人間的な暮らしをすることができますように.

牛久入管収容所よりも刑務所の方がまし

昨日面会した兄弟はふたりとも,刑務所での服役を終えた後,そのまま入管の収容所に収容されました.ふたりとも日本で約20年間生活してきており,家族も日本にいます.

彼らはふたりとも,刑務所の方が入管収容所よりましだと口をそろえて言います.なぜかというと,刑務所では受刑者の更生と社会復帰を刑の目的とするので,刑務官たちは,態度は厳しいが,教育的な配慮をしており,また,受刑者を無事に出所させるために,病気のときは迅速に対応してくれるそうです.

それに対して,入管収容所は何らかの決定が下されるまでの間ただ単に収容しておくだけなので,警備官は,被収容者に対する言動は刑務官のように厳しくないものの,収容者たちのために何か配慮するという姿勢がほとんどありません.病気で具合が悪いと訴え出ても,すぐには対応してくれません.

今はもう暑い季節になり,収容棟の室温も約 30 度になりますが,窓はふさがれていて風を入れることはできません.夜寝苦しいからエアコンの運転を延長してくれと願い出ても,警備官は,規則によってそれはできないと答えるだけです.

同じ法務省の拘禁施設でありながら,刑務所の受刑者たちの方が,牛久入管収容所の被収容者たちよりも,ずっと人間的な処遇を受けている,入管収容所では被収容者を人間扱いしていない,と昨日面会した兄弟たちはふたりとも言っています.

特に,刑務所では刑期が定められていますから,いつになれば出所できるか,期限が受刑者にもはっきりわかっています.それに対して,入管収容所では,仮放免になるにせよ強制退去になるにせよ,いつ出られるのかまったく予測がつきません.

この「出口無し」の状況は精神的に非常に苦痛です.精神的な拷問と言っても過言ではないと思います.自殺にまで追いつめられてしまいます.実際,昨日聞いたところでは,最近二週間に自殺未遂が二件あったそうです.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たちが,適切な医療を受けられますように.そして,長期収容の現状が改善されますように.

そして,昨日会った兄弟がふたりとも,日本に住んでいる家族のもとへ一日も早く帰ることができますように.

牛久入管収容所の兄弟姉妹たちは外を見ることができません

昨日の訪問の際に,牛久入管収容所の収容棟の裏手に行ってみました:


収容棟の手前に運動場があります.高い壁に囲まれ,壁の上にはさらに透明アクリル板の覆いが取り付けられています.それが屋根として完全に運動場を覆っているのかどうかは,よくわかりません.屋根であれば,確かに雨の日も運動場を利用できますが,外の空気に触れることはできません.

この写真ではわかりにくですが,収容棟の窓にはすべて,白い不透明フィルムが貼られており,外を見ることはできません.あのあたりの名物,牛久大仏を見ることもできません:


昨日、わたしたちは差し入れと面会をしました。
わたしたちはおよそ20人分の差し入れをしました。
この時期、被収容者からの手紙には
洗剤、石けん、半ズボン、Tシャツなどの要望が多く書かれます。

しばらくすると受付ロビーに
さいたま教区からR神父(MOPP)とS助祭そしてシスター2人とスタッフの女性が来ました。
わたしたちはかれらとたくさん話をしました。

「NGO牛久の会」のI婦人がパキスタン人S氏の仮放免のために
いっしょうけんめいでした。
S氏が受け付けロビーにあらわれました。
かれはすずしそうな民族衣装のスータンを着ていました。

わたしたちは施設内の食堂でいっしょにランチをさそいました。
でも、かれは食べ物についてとても神経を使っていました。
結局、かれは売店でかつおぶしスープのカップうどんを食べました。

また、かのじょから聞いた話によると、
最近、若い中国人が重い病気のためにある病院に緊急入院しましたが、
そこで亡くなったとのことでした。

わたしたちは若い命が無残にも絶えてしまったことに
ひじょうに悲しい気持ちでいっぱいになりました。
かれのご冥福を祈ります。
(Fran)

2014年7月10日木曜日

シスターありがとう!
シスターはわたしたちの会と活動をかげながら支えてくださっています。
昨日、シスターからのプレゼントが司祭館に届いておりました。

そのなかに石けんが入っていました。
それは被収容者たちからの要望の多い物のひとつです。
かれらは良いにおいのする石けんを使ってシャワーあびます。
そのあと、彼らの体からいい匂いがしていることでしょう。

今度、わたしたちはこの石けんを差し入れします。
かれらの喜ぶ姿が目に見えるようです。
こんごともよろしくお願いいたします。
(Fran)

2014年7月9日水曜日

おしえてください!

アサリチカラ様ご寄付ありがとうございます。
わたしたちはお返事をしたいと思っております。
あなたがこのブログをごらんになったら手紙かメールをおねがいします。

foushiku@gmail.com

〒300-0038 土浦市大町9-6
カトリック土浦教会

2014年7月4日金曜日

難民支援協会 JAR

Michael 神父様と同様に牛久収容所の兄弟姉妹たちを支援している MOPP (聖ペトロ・パウロ労働宣教会) の Rémi 神父様に,難民支援協会 (Japanese Association for Refugees) という NPO 法人の組織があることを初めて教えていただきました:




Twitter を始めました

Twitter を始めました:

https://twitter.com/foushiku

牛久入管収容所で兄弟姉妹たちと面会するときには携帯通信機器を持ち込むことはできませんが,tweet できるときにつぶやいて行きます.

よろしくお願いします.

2014年7月3日木曜日

まことに神の子として生きる

フランチェスコ教皇の7月1日の twitter message です:
Vivre comme de vrais enfants de Dieu signifie aimer le prochain et se faire proche de celui qui est seul et en difficulté.
まことに神の子として生きるということは,隣人を愛すること,また,孤独や困難のうちに暮らしている人に寄り添うことを,意味します.

わたしたちの牛久収容所訪問が,少しでも,神の愛を証言することになりますように.

7月1日に会った兄弟たちのうちひとりは,既に約2年間,牛久入管収容所に拘禁されています.そこには同じ国の出身者は誰もおらず,日本人の知人・友人も誰もいません.本当に孤独のうちに彼は暮らしています.とても気分が落ち込んでいる様子でした.それでも彼には,Michael 神父様のところへ助けを求める手紙を書く気力はまだ残っていました.それに答えてわたしが面会に来たことを感謝してくれました.

どうか彼が一日も早くこの絶望的状況から解放されますように.

Luc

2014年7月2日水曜日

昨日、わたしは二人の若いフィリッピン人と面会しました。
かれらはカトリック教徒です。
かれらはオーバーステイで捕まりました。
かれらは牛久収容施設に2年6ヶ月ほど長期収容されています。

かれらはストレスで頭痛や不眠に悩まされています。
ここで処方してくれる薬を飲むと体がますます悪くなるので、
かれらは薬を飲まずにじっと我慢しているそうです。

ときどき、わたしは言います。
「ヨブのように神に叫びなさい」!
「神に自分の苦しい思いを打ち明けなさい」!

神は聞いています。
ご返事はかならずあると思います。

かれらにがんばる力と勇気と慰めをお与えください。
(Fran)