入管被収容者のための祈り


神様あなたを賛美します。あなたからいただいた数多くの恵のために感謝いたします。
入管に収容され、大きな強いストレスの中で、失望のどん底に落ち、
病気のために苦しみ、家族や友人からひきさかれている皆様をお守りください。
どうぞ主よ、このようなきびしい環境の中にいる皆さんに、
がんばる力と勇気と慰めをお与えください。アーメン (Fr.Michael.Coleman)

2016年4月26日火曜日

兄弟姉妹のみなさん
ありがとうございます。

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ひきつづき、よろしくお願いいたします。
(Fran)

2016年4月18日月曜日

親愛なるFさんへ。
洋服・靴・カバンなどいつもありがとうございます。

神父マイケルあての手紙を紹介します。

「先日はご丁寧なお電話をいただき恐縮に存じます。
毎日のご活動に畏敬の念でございます。
ご神父と同じ年齢に拘らず、現在の私自身を思うと、
体調を崩していることもあり情けなく思っております。
心だけは、人生後期は社会のため弱者に手を差し伸べる心情は
持っていると思っております。
私も戦争で家財全てを失い、住むところもなく、
着るもの、食べるもの、お金にも、不幸にも昭和十六年
父も失い、人には語れない辛酸をなめました。
少しでもお役に立てばと思い、大きなことは出来ませんが、
品物で恐縮ですが皆様が喜んで頂ければ幸いでございます。
末筆ながら、ご神父様、スタッフ皆様のご健勝とご活動を
心より御祈念申し上げます。」

(Fran)

2016年4月13日水曜日

昨日、4月12日(火曜日)
わたしたちは牛久入管に行きました。

わたしたちは18人分の差し入れを済ませました。
それから

神父マイケルはネパール人と面会しました。
かれは英語と日本語が話せませんでしたので、
神父マイケルは身振り手振りでかれの要求を聞きました。
それは、”日本語勉強本”と洗剤とテレホンカードでした。

わたしはブラジル人と面会しました。
かれは5年以上も収容されています。
彼のブロックはサッカーなどの運動を禁止されています。
なにか特別な配慮がされているようです。

「被収容者のための祈り」をとなえてから別れました。
お元気で!
(Fran)

2016年4月6日水曜日

4月5日(火曜日)
わたしたちは牛久入管に行きました。

わたしたちの差し入れは1時間半かかりました。

神父マイケルは二人のスリランカ人と面会しました。
かれらは若い青年でした。

わたしも二人のスリランカ人と面会しました。
かれらのひとりはストレスで病気になりました。
かれは1日で22錠の薬を処方されて飲んでいます。
かれらもまた若い青年です。

政府は難民申請を認めません。
かれらは運悪く日本に来て牛久入管に収容されています。
そして、かれらは若い貴重な青年時代を無駄にしています。
わたしはとても残念に思います。

神様のお恵みがありますように!
(Fran)

2016年4月4日月曜日

4月3日(神のいつくしみの主日)

神父マイケルは「神の御摂理修道女会聖堂」聖ミカエル教会にいきました。
聖体礼拝と”神のいつくしみのチャプレット”のあと、
神父パウロ(ドミニコ会)司式でミサをささげました。

とてもすばらしミサでした。



会場に展示されていた「教皇聖ヨハネ・パウロ2世」の聖遺物



神父マイケルはなつかしい神父や信徒と再開しとてもうれしそうでした。
(Fran)

2016年3月27日日曜日

ハッピー・イースター!

スリランカの司教ハロルドから
グリーティングカードが届きました。

クルネガーラの聖アン カテドラルで
いつくしみの聖なる扉のオープニングです。


ありがとうございます。
(Fran)

2016年3月16日水曜日

昨日
神父マイケルは修道会のシスターを二人つれてきました。
彼女たちはインドネシア人です。
彼女たちはフィリッピンに滞在しています。

彼女たちは私たちの姉妹とペアになりフィリッピン女性と面会しました。
彼女たちはとても満足していました。

神父マイケルはフィリッピン人と面会しました。
かれは神父に手紙を書き、聖金曜日に特別面会(ミサ)を依頼しました。
しかし、神父マイケルは所属確認の手続きのために断念しました。

わたしはブラジル人と面会しました。
かれも神父に特別面会を求めましたが、
わたしたちはそれを3月中に実施することはできない事がわかりましたので、
やはり断念いたしました。

それから、
わたしたちは昼食をとるために『阿見アウトレットモール』に行きました。



次に、
有名な『牛久大仏』を見学しました。


とてもたのしかった!

カトリックTORIDE教会に行く途中で、
わたしはJR取手駅でわかれしました。
またね!
(Fran)

2016年3月8日火曜日

今日、
私たちが牛久入管のロビーに着いたとき誰もいませんでした。

わたしたちは差し入れをしました。
神父マイケルは受付番号”2”でした。

かれは二人のネパール人と面会しました。
かれらは政治的迫害で日本に逃げてきました。
かれらは成田で難民申請をしました。
しかし、かれらは認められませんのでここに収容されました。
かれらには戻る場所も行く場所もありません。
それはとてもつらい状況です。

わたしはネパール人とギャンビア人に会いました。
ネパール人は同じ状況です。
ギャンビア人はとても静かな人でした。
かれらの気持ちは
”なんとかしたい でも どうにもならない” でしょう。

最後にわたしたちは「被収容者のための祈り」を捧げました。
Amen
(Fran)

2016年3月2日水曜日

1日(火曜日)
わたしたちは差し入れの荷物を車に積んで出発しました。

私たちの姉妹たちはすでに面会中でした。
彼女たちはフィリッピン人の女性と会いました。
彼女は刑務所から牛久入管に来たようです。
また、彼女はいろいろな病気を持っているようです。
まけないで!

神父マイケルは二人のスリランカ人と会いました。
かれらの一人は英語や日本語が話せません。
だから、
神父マイケルと他の一人は英語で話します。
他の一人は別の人にシンハラ語で話しました。
それはとても複雑でした。

わたしは中国人と会いました。
かれは若いです。
かれには奥さん(中国人)と幼い子どもがいます。
かれの奥さんは働いているので、
かれは早く仮放免の許可をもらい家族の手伝いをしたいといっていました。
かれは静かな声で話しました。
またね!
(Fran)