入管被収容者のための祈り


神様あなたを賛美します。あなたからいただいた数多くの恵のために感謝いたします。
入管に収容され、大きな強いストレスの中で、失望のどん底に落ち、
病気のために苦しみ、家族や友人からひきさかれている皆様をお守りください。
どうぞ主よ、このようなきびしい環境の中にいる皆さんに、
がんばる力と勇気と慰めをお与えください。アーメン (Fr.Michael.Coleman)

2014年11月28日金曜日

いつも、洋服とテレホンカード(KDDI)を贈ってくれている方に感謝します。
マイケル神父はわたしたちにうれしそうに話してくれました。
ありがとうございます。

ところで、25日(火)に、
マイケル神父は2人のスリランカ人と面会しました。
かれらは日本経由で他の国に行くつもりでしたが、成田で拘束されました。
かれらのひとりは自国語(シンハラ語)しか話せません。
また、もうひとりはなまりの強い英語と自国語を話せましたので、
かれは通訳をしながらマイケル神父と話し合いました。

かれらは何も持っていないので、
必要な生活用品の要望を聞いてきました。
かれらは日本語をまったく知りませんので、
わたしたちはやさしい初歩の日本語(ひらがな)の読み書きの本をさがしています。
おすすめがありましたらおしえてください。
(Fran)


2014年11月19日水曜日

昨日
わたしはヴェトナム人のT氏とバングラデッシュ人のS氏に面会しました。
わたしたちはおなじアジアの民族ですが、それぞれの個性と特徴があります。
ヴェトナム人のT氏はしずかに話を聞きます。
バングラデシュ人のS氏はよくしゃべります。
日本人のわたしはその中間ぐらいです。
でも、みなうれしそうな顔をしていました。

わたしたちは楽しく宗教の話をしました。
S氏は「どの宗教でも神様は同じだ」と言いました。
イスラム教もユダヤ教もキリスト教も’父なる神様’は同じです。
S氏は「世界の95%は神様を信じている」と言いました。

そこでわたしたちは、神様を信じていない日本人について話しました。
日本人はよく見ていますが何もしません。
日本人はすぐに行動しません。
わたしは、日本人は冷たく難しい民族だと思います。
かなしいことです。

警務官のブザーがピピッとなり、面会が終了しました。
神様のお恵みがありますように。
(Fran)

ありがとうございます。

さいたま教区のF神父から、
ちょうど良いサイズの洗濯洗剤をいただきました。

三位一体の聖体宣教会のシスターから、
良い香りのする固形石鹸とテレホンカードをいただきました。

これらのものは被収容者からの要望が多いものです。

わたしたちは感謝をこめて報告させていただきます。
(Fran)

2014年11月18日火曜日

フランチェスコ教皇の11月17日の説教: 教会の局所季候のなかに閉じこもってはならない.

http://www.news.va/en/news/pope-francis-christians-remember-where-they-came-f


昨日17日月曜日の朝,Vatican Casa Santa Marta の礼拝堂で行われたミサにおいて,Francesco 教皇は言った:選民という局所季候のなかに閉じこもってはならない.

教会のなかで,信徒たちは誘惑に陥ることがある.イェスと共にいながらも,しかし,貧しい人々や,社会のはずれへ追いやられている人々を訪れることなく,教会という局所季候のなかへ自分たちを隔離しておこうという誘惑に.しかし,そのような閉鎖環境は,本当のカトリック教会のものではない.

イェスへ目を向けながらも,助けを求める貧しい人々や,社会のはずれへ追いやられている人々のなかにイェスを見ることを怠る.今日のカトリック教会は,そのような誘惑につきまとわれている.社会的に排除された人々へ扉を開けるのではなく,教会という局所季候の内部に閉じこもっていよう,という誘惑に.

Francesco 教皇の説教は,福音書のなかでも最も印象深いページのひとつに基づいている.そこでは,ジェリコの盲人のエピソードが物語られている.教皇によると,その男は,ルカ福音書の物語に出てくる人物たちのうちの第一のカテゴリーを代表している.社会のなかで何の重要性も持たないが,救いと癒しを欲しており,したがって,目的を達成するまで周囲の無関心の壁よりも強く叫び,ついにイェスの心の扉をノックすることに成功する.そのような者に対して,弟子たちのサークルは,彼がイェスのじゃまにならないように,彼をだまらせようとする.そして,そうすることによって,弟子たちは主を辺縁部から遠ざけてしまう.

弟子たちのサークルが扉を閉めてしまう 彼らはまったく善意でそうしているのだが がゆえに,辺縁部にいる人々は主へ近づくとこができない.そのようなことが,わたしたちカトリック信徒のなかで頻繁に起きている.わたしたちは主を見つけると,知らず知らずのうちに,教会という局所季候を作り上げてしまう.そうするのは,司祭や司教だけでなく,信徒たちもである:「わたしたちは,主のおそばにいる!」そして,主をみつめるあまり,主が何を必要とされているかが見えなくなってしまう.主は,飢え渇いており,牢獄に閉じ込められ,病院に入っている.主は,社会のはずれへ追いやられた人々のなかにいる.教会という局所季候は,不健全である.

次いで教皇は,苦い思いをまぶした皮肉をこめて,選民思想のグループの記述へ移る:「今やわたしたちは選ばれた民だ.わたしたちは主と共にいる.」そのようなグループは,かくして,自分たちの小さな世界を守ろうとする.そして,主のじゃまになる者たち 子供たちさえも をすべて,遠ざけてしまう.

教会のなかで,信徒が,司祭が,司教が,主の近くにいるという特権によって,そのような選民グループを形成するとき,彼らは,最初の愛を忘れてしまう危険をおかしている.あのとても美しい愛,主がわたしたちを呼んで,救ってくださり,「わたしはあなたをこのように愛しているのだ」と言ってくださったときにわたしたち皆が知った愛.そのような最初の愛を忘れてしまうこと.それが,弟子たちの陥る誘惑である.かつてわたしたちは社会のはずれにいたのに,そのことがはずかしくて,辺縁部を忘れてしまうなら,それは,最初の愛を忘れてしまうことである.

先ほどの第一のカテゴリーに対して,第三のカテゴリーと教皇が規定するグループもある.素朴な人々.盲人の癒しのゆえに神を賛美する人々.彼らは,特権を求めない.彼らは,恵みだけを求める.特権を求めることなく,主に従い,主と共に時間を過ごす.そして,とりわけ,子供たち,病人,牢に入れられた人々などから成る「社会のはずれへ追いやられた教会」を忘れずにいる.

「わたしたち,主に呼ばれた者が皆,社会のはずれへ追いやられた教会から決して遠ざからないよう,主に恵みを求めましょう.わたしたちが決して,特権的な弟子たちの教会という局所季候のなかへ閉じこもってしまいませんように.そのような閉鎖環境は,神の教会から遠ざかっています.神の教会は,苦しんでおり,助けを求めており,信仰と神の御ことばを必要としています.」

(Vatican News フランス語記事の Luc による翻訳)


2014年11月11日火曜日

マイケル神父はアフリカの人と面会しました。
ひとりはギャンビア人でとても背が高い人で、よく眠るそうです。
かれはとても大きなジャケットかセーターを要求しました。
もうひとりはナイジェリア人で7・8年ほど前にも牛久に収容されていました。
かれとマイケル神父はひさしぶりの再開でした。

わたしは2名のヴェトナム人と面会しました。
かれらはとてもおとなしい感じでしずかに話しをします。
かれらに友人の保証人になってほしいと頼まれましたが、
わたしたちは出来ないことを説明しました。
かれらはにっこり微笑んでくれました。

かれらは「何もすることが出来ないのはとても辛い」と言いました。
かれらは不平不満を言わずにしずかに絶えています。
かれらはとても素晴らしい人たちです。

わたしたちは「健康に気をつけてがんばろう」と言って別れました。
(Fran)


2014年11月5日水曜日

最近、
入管牛久収容施設にはスリランカ人がおおぜい入ってきています。
わたしたちはかれらのためにマジックテープ式の運動靴を差し入れました。

かれらは成田で拘束され、直接牛久収容所に連れてこられます。
かれらはシンハラ語となまりの強い英語しか話せません。
そして、かれらは何も持っていません。

みなさまかれらのために祈ってください。

さて、
マイケル神父はペルー人と面会しました。
かれは30キログラムも痩せたそうです。
わたしは日本人と台湾人のダブルのアメリカ国籍のW君と面会しました。
かれは若くて頭脳明晰です。
かれは数ヶ月で日本語を流暢に話しそして漢字交じりの文章を書きます。
わたしはかれの才能が埋もれないことを願います。

かえりがけに、
わたしたちはフードバンク茨城にたちよりました。
そこでいろいろな食料品をいただきました。
感謝いたします。
(Fran)